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ギーァの日常 [小説]






たまには


足を組む、頬杖を突く、首を傾げる、爪を噛む、人に癖あり、無くて七癖とはいったものだが、窓の外を見て黄昏ながらぼんやり足を組んだギーァの癖は眉毛を毟ること。理由は解らない。ただなんとなく、無意識の内に毟る、お陰で常に眉が薄くて悪人面。睫毛は抜かない、瞼を裏返す時の瞼と眼球の間に空気が入るような、あの感覚が嫌いだからだ。窓の外は真っ暗で、結露した窓ガラスと雨の音しか無く、幼い体では窓枠に座り込むとすっぽり体は窓に収まり、黒い風景しかしか見えなくなるが、孤独を望むギーァにとってはこの寂しい風景が心地良い。
黄昏るのにも少し準備が要る、窓にずっとくっついていると寒くなるから上着を着て、誰かに見つかると心配されるから誰かが来ない所を選んで、何も考えるネタが無いと結露で延々遊んでしまうから適当な悩みを調達してくる、準備は完璧、そして毟る、黒い眉毛がぶちぶち抜かれて、ぽろぽろ指紋の上から落ちて見えなくなる。尻尾に引っ掛けたバスケットから、厨房からかっぱらって来たパンとトマトで作ったサンドイッチを出す。トマトを適当にスライスしてありったけパンに詰めただけのサンドイッチ、齧ると次から次へ種と汁が出てくるので急いで吸いながら食べた。
この窓はとても好い、どんな部屋よりも風呂場を除いてギーァ一番のお気に入りの空間、この窓と窓枠の空間に水と食料と上着を持ち込んだら、自分は一生暮らしていけるのではないかと妄想出来てしまう程。先に耳だけ齧って食べておいた柔らかい所をむしゃむしゃ、指に付いた汁を舐め、次のパンを食べる前に同じ様に尻尾に引っ掛けた水筒からホットコーヒーを水筒の蓋に出して飲む。喉を通る度にコーヒーの黒が熱い血液に変わり、ぐるぐる色を赤く変えて体を循環して行く、そんな気がして、ギーァは体を冷やすのも好きだ。雨の中を飛ぶ、だとか。
ぐるぐる回り、ぐるぐる茶色の渦を描くコーヒーは、目を凝らせば見える窓の外の風景のようで、飲めば風景を飲んだ気がする。両足を縮め、前を閉じた上着の中に畳んだ足を入れてしまう、大人用の上着はこれだから良い、歩く時は不便だがこうして窓枠に収まっている時はとても温かくて好い物だ。水筒の蓋を元に戻す時、茶色の水玉が手指に跳んだので舐める、ほんの一瞬で冷え切ったそれからは口の中が温まりすぎて味を感じない。二つ目のサンドイッチはチーズとトマト、齧ってみるとトマトを入れすぎた割りにチーズを一枚しか挟んでいなかったので、チーズの味がしなかった。
口の中を舌でまさぐって、ギーァはチーズの味を探す、パンに近い所を舐めるとチーズの味がするので、うっかり吐き出したりしないよう口元を押えながら、もっと舐める。行儀悪く口の中をもごもごさせても良いのがこの窓枠の良い所。汁の付いた指で眉毛を抜こうとすると、種汁が染みて痛くて、指を放した今もギーァの眉は赤く蚯蚓腫れのようになってしまっている。かさかさ窓ガラスを撫でているだけだった木の葉が、強い風と雨に煽られてがつん、と派手な音を立てて窓にぶつかった。少し驚いたので、ギーァはとりあえず口の中に入れた物を飲み込んでから、適当に驚いた声を出す。
枝が窓を叩くのを止めた後も、何やらごそごそがたがた、人間の耳では聞こえない程度の物音が、屋根裏を誰かが通って行く音が。この家では別に珍しくないこと、寧ろあれは知る人ぞ知る第二の通路、大方ヴィンセントか誰か、また性的に意味で迫られて逃げているのだろう。下りてきた誰かが勝手に自分のサンドイッチを取っていってしまわないよう、そろそろとギーァは尻尾を引き上げ、裸足の脚に挟む。水筒が温かくて、冷えた足の指が表面に溶接されるような、じわじわした感覚が楽しい。暫くして音は小さくなり、遠ざかって聞こえなくなって行くと、ほんの少し残念な気分になって、尻尾をまた垂らす。
そういえばギーァも前に屋根裏を通って色々としたことがあったが、流石屋根裏というだけあって埃っぽく、口布を巻いていかないととても咽て隠密どころの話ではない。隠れる理由も無いのに隠れる必要は無いので、必然的に使わなくなった。今度はコーヒーにジャムを溶かして飲もうと思い、バスケットの中を探ってみるがジャムはあってもティースプーンが無い。仕方が無いのでジャムを傾けてコーヒーに入れ、溶けていない部分は唇に当たる度に口の中で溶かす。甘すぎる。入れすぎた。飲まないのは勿体無いので一気に飲み干し、ギーァは最後のサンドイッチを取り、食べ始める。
こってりしたブルーベリー味を焼肉サンドで相殺しながら、首を少し上げると結露した窓に自分の髪の毛で芝のような模様が付いていたので、二口目を大きく齧って指で丸く囲う。まりも。丸を描いたらひよこに見えてきたので羽を足す、羽を足したら羽が口に見えたので腕を足す、腕を足したら脚が無いといけないと考え、脚を足したら原型が解らなくなったのでぐしゃぐしゃ、と混ぜて丸く黒が鮮明になった景色を見た。時計が無いので時刻は解らないが、最近昼が長くなって、こうして夕食前に暗い視界を楽しむのももう直ぐお終いになる、だから今の内に黄昏溜めしておこうと、ギーァは上着の裾で指を拭いてサンドイッチにかぶりつく。
がぶがぶ、夕食前にしては食べすぎかもしれないが、折角作ったのだから構わず食べる、後で夜食か何かとして食べるという選択肢は無い。大きなサンドイッチ三つとコーヒーを胃に詰め込み、そろそろ物思いに耽ることを始めようとすると、途端に眠くなって来た。重くなってくる瞼をこじ開ける意味も篭めて、よく上着で拭いた指で眉毛を毟る、蚯蚓腫れが熱を持っていて気持ち悪い。冷えた窓ガラスにくっつけてみるが、冷えすぎて痛いので放し、顔を上着の袖で拭く。結露と窓の汚れの分、小汚くなった上着、元の持ち主だったオックスはそろそろ泣いて良い。ギーァは上着の中で背を突っ張って伸びをした。伸びの分上着が伸びる、泣いて良い。
唐突に、また屋根裏の表へ出る為のどんでん返しがガンガン叩かれて、その耳障りな音に目が覚めた。あれはノックだ、どっかのお行儀の良い誰かさんは律儀にも屋根裏から他人を訪ねて行く時まで、ああしてノックをしてから屋根を開ける。誰にも見つからない所は、見つかっても誰にも言い触らさないであろう奴だけが来る場所なら、誰も知らないのと同じ、いっそギーァに良い事を知らせてくれる奴だけが来るなら、なお便利。良いこと、晩御飯の時間を伝えにひっくり返して入って来たヴィンセントは、暫く窓枠に収まったギーァを見ていたかと思うと、上げっ放しになった口布を指摘されて下ろす。文字通りの屋根、天窓にぴったり嵌っていたギーァは、尻尾に下げた二つを落とさない様にしながら、まるで猫の様に身を撓らせ、ひらりと地に降り立った。

「何やってたんだ?」
「独りぼっち」

「楽しいのか? それ」
「いいや、全然」

「何で」
「強いて言うなら漢のレベル上げ、かな」
他にも真っ暗な部屋で全裸になって一人でゴットファザーを見ると上がるらしい。

つまり「何時でも俺の部屋に来ていいよ!」 [小説]






無くし物置き場


慣れた日常が一瞬で姿を変え、得体の知れない何かに取って変わられる瞬間という物は存在する、例えば右目に明らかに刳り出そうという意思を持って指を突っ込まれそうになった時とか。オックスは逃げ出した壁際から、さっきまで平和な会話を楽しんでいた白い子供を観察するが、彼はなんで? とばかりに不思議そうな顔をして首を傾げているだけで攻撃してくる様子も、敵意も無い。手に握られていたのは消毒液らしい何かとガーゼの箱、幸いオックスの右目はかなり前に義眼になっていた為、今は痛いだけで済んでいる。オックスはこの家の家主が何故あそこまで彼らに懐かれていながら、あくまで恐怖の感情を捨て切ろうとしないのか、それを少し実感した。色々と突拍子が無さ過ぎる。
何やら自分が警戒されていることを察してか、彼はぺったりその場に脚を開いて座る、猫の口のように先の丸まった口元は正に幼い子供そのもの、身長が歳相応よりもずっと大きいことを除いても可愛らしい。ぺしぺし、座り込んだ床を彼はぺしぺし叩く。まあ座れ、ということらしい、オックスは一回頷いてから部屋の隅に詰んであった藤模様の座布団を敷いて座った。不意に何か消毒液とガーゼ以外のものが床に、彼らにしては投げ出すような乱暴な扱いではなく、ちゃんと床に底が付いたことを確認してから手を離す慎重さで扱われる物が。オックスは光を反射させているそれを覗いた、浅漬けでも入っていそうなビン、中身は、色取り取りの、明らかに人間サイズの眼球。オックスはまた壁際まで逃げた。
その後ろに向って後退する早さといったら、正に黒くてぎとぎとした嫌な虫より早いのでは、オックスの首から下がそれに挿げ変わる妄想をして楽しくなった彼は、口元に手を当てて不思議な笑いを浮かべる。彼は沢山の目玉の入ったビンを手に取って振る、僅かな隙間も無いビンを振ったところ期待するような音がなる訳は無い、横に倒して転がす。オックスの足元に向ってごろごろビンが転がって行く。ごろんごろん、転がって行く内にその中の薄茶色の物と目が会って、オックスは背筋に寒い物を走らせる。ごろごろ、途中で勢いを失ったビンが中辺より少しオックス寄りで止まる。今度は赤紫っぽいのと目が会ったが、此処に来てやっとオックスはちゃんと眼球の瓶詰めを直視出来た。
「キレイにしてあげようとしたんだけど、オックスの目は取れなかったね。ごめんね」
ひんやりとした冷たく硬い感触、本物と寸分違わず細部まで完全に再現されているが、なんだ、義眼ではないか。オックスは自分の喉から安堵に似た乾いた笑いが零れるのを感じた。投げ出した足をしゅるりと素早く畳み、獣の様に四足を付いて歩いて来た彼は、適当に近付いてまた座り、ビンに手を掛ける。ぎちぎち物凄い音を立てて開かれたビンの蓋、取り出されたのはオックスのまだ生身の左目そっくりの金色をした義眼で、彼はそれをオックスの右目に合わせるように指で翳す。目を細める彼の黒い左目は動かない。理由は簡単、オックスは眼球の後半部に相当する容積をもった台を挿入し、眼筋の内四つの直筋に触れるよう手術を施した為、義眼でも目が動く。
彼は何故かそれをしていないだけ。何度か訊ねてみたがはぐらかされるだけだった、と家主は言っていた。義眼を摘み上げていた腕がぱったり床に倒れて、指が離れた金の義眼はころころ転がり、転がる前と対して変わらない場所に止まる。何処か他所を見ながらぼうっとする姿は、しょんぼりしている、風にオックスは見えた。とても三児の母とは思えない仕草だ。ひょっとしてくれる気だったりしたのだろうか、オックスは金の義眼に手を伸ばして、まじまじ自分そっくりの虹彩と瞳孔を覗き込む。また四足を付いて歩いて来た彼は、ウットリした目付きで義眼を暫し見た後、オックスの顔を期待を漲らせて見たが、そんな幾ら可愛い顔で頼まれても眼筋に縫い付けられた物を無理矢理引きずり出すだなんて痛いことはとてもしたくないオックスは、出来る限り相手を刺激しないようゆっくりの目を逸らした。右目も動く。
鴉か猿か、素直に断られるより少しばかり残念な気分になって、彼はまたしょんぼり他所を向いた後、オックスの手から義眼をひょいと摘み上げて、もう片方の手で自分の眼孔に指を入れて黒い義眼を刳り出す。刳り出した黒の義眼はオックスの手の平に、ころころ、平で転がるそれはなんだかぬるぬる涙で濡れていて、体温で生温い。手馴れた手付きで赤と金の目になろうとしている彼の眼孔に、オックスにくれてやる為に何処ぞから手に入れた義眼は大きかったが、そう無理をしなくても入らない大きさではない。女性器と同じ色をした穴に球体の先が触れる時、オックスの手が伸びて金色がころころ、また床に転がって行く。倒れたビンから金色より小さい義眼がころころ、転がってぶつかり合う。
「しっかり消毒してから入れないと内部から腐ってしまうよ」
「……何で知ってるの?」
彼はまた大きく、無理がある角度まで首を傾げると、その辺に放り出した義眼は放って置いたまま、ほわほわとした雰囲気を振り撒く。見渡す限り目だらけになった光景はB級ホラーも良い所、ついでに離れた所で倒れている消毒液とガーゼの箱は本当にB級ホラーの世界だったなら、後々の伏線として扱われる所なのだろうが、此処では藍色と紫の義眼に小突かれて乾いた音を立てる、それだけだ。良く見れば消毒液は義眼や眼孔内にも使用可能で、潤滑油も兼ねた類の物。なんだ、オックスは重大な伏線を見逃していたらしい。そういえばあれは自分も昔使ったことがあった。一回り大きな金、オックスの眼孔に丁度良い大きさの義眼、沢山の小さな義眼は彼が日常使っているものなのだろう。体が斜めになるような体勢から、やっと腰を開放して、オックスは猫背に胡座で白い子供のぽっかり開いた穴に指を伸ばす。粘膜に触れる、脳へと皮一枚で繋がる穴に指を入れられそうだというのに、嫌がりもしない。
「俺だって最初から可動式の義眼を使っていた訳じゃないからね」
「へー…じゃあ、オックスが消毒してよ」
ビンの底に残っていた縦の瞳孔の黄緑が此方を見ている。返事を待たず振り返り、腕を精一杯伸ばして横着する彼の指先にガーゼの箱が引っ掛かった。ずりずり、一緒に引き摺られてくる消毒液と、途中まで一緒に転がされていたが途中から腋に転がって行く藍色と紫。ぐい、とオックスは突然二つを腕に押し付けられ、黒の義眼を落としてしまう。黒はころころ他の色と混ざり、丁度自分の身長程度の範囲を確保しようと、払い除ける彼の腕によって遠くへ勢いを付けて転がる。オックスが黒を見失わない様に目で追うより早く、早々に彼はオックスの太腿に頭を乗せて、自分の左頬をぺしぺし叩く。折角オックスが愛用しているらしい義眼を無くさないように気を使っているというのに、まるで興味を失ったかのようなその態度に、オックスは最初とは別種の薄ら寒さを覚えた。
軽く染み込ませる程度で良い、上向きにした消毒液の噴射口にガーゼを乗せて染み込ませる、多く消毒液を付けすぎると襞の間に消毒液が溜まって厄介なことになる。内部を拭く時に深追いは厳禁、強く擦るのも勿論、消毒液の染みた人差し指と中指に巻きつけ、しっかり力加減出来るようにする。基本的には軽く、本当に軽く、抜き差しする程度で良い。本来なら義眼を取り出す時も指ではなくて専用のスポイトを。だから消毒を進めたのだが。オックスは自分の太腿に当たった一つを手に取る、これには瞳孔も虹彩も無い、ただ黒目に当たる部分に蝶の細工がされていて、光の加減によって蝶の羽の色が変わるらしい。今は赤交じりの玉虫色、優しく拭きながら、オックスはじっと手に取って光に目を凝らす。
「君は、如何してこんなに沢山の義眼を持ってるんだい?」
「よく無くしちゃうからだよ。置物は勿論、敷物も、壁紙も、ゴミと間違えて捨てちゃうんだ」
なるほど、彼、または彼らのあの異常なまでに殺風景な部屋は、あえてああいうレイアウトにしているのではなかったのか、とオックスは頭に浮ぶ寒々しく剥き出しになった白い壁の理由を、その異様な答えをあえて聞かなかったことにして知る。ころころ、ごろごろ、そこいら中に転がる義眼、持ち主に興味を失われた人の体の一部になる筈だったもの。こんなに物への執心が薄いのだったら、今この奇妙な風景の理由も頷ける。きっと最初の義眼も、オックスに宛てて買ったのではなく、たまたまサイズも選ばずに買ったらオックスの目と同じ色だったからあげることにした、程度の理由なのだろう。ひらひら、紅玉色になった羽を目で追いながら、無防備すぎて危うい程大人しく、開かれたままの眼孔にオックスはそれを滑り入れる。するり、と難無く蝶は眼になり、赤に黒が粒になって浮んだ。久しぶりに使った消毒液兼潤滑油、相変わらず値段の割りに使い易い。
「そう無くし物ばかりでは困るだろうから、良ければその辺の一瓶分は俺の部屋に置いておけば良いさ、また無くして、必要になったらまた取りに来れば良い」
「え?」
眦の裂けた、心底面食らったような表情。懐いた猫のように大人しかったというのに、彼は唐突に彼らしくない声を上げ、体を起こした。オックスは危うく顎をぶつけそうになって頭を避けるが、今度は後頭部をぶつけてしまう。今度の蝶は光沢のある黄色、オックスを押し倒す様に手を付いた彼は、付き合せた顔を何だかまた不思議に動かして、にやり、と笑い、圧し掛かっていた体を離す。ぶつけたまま押し付けられていた後頭部が鈍い頭痛を呼ぶ、オックスは患部をさすりながら、まだにやにや笑いを浮かべている彼からとりあえず逃れられたのだと、ホッと安堵の息を漏らした。彼はまだ奇妙なニヤニヤ笑いを浮かべている。ころころ、ごろごろ、また黄色と金色が転がり、ぶつかった薄ピンクと硬い音を鳴らす。その日からオックスの部屋に彼の義眼は置かれることになった。
「ふ~~~~~~~ん」
オックスは自分が言ってしまった言葉の意味にまだ気が付いていない。

南瓜頭の素顔 [小説]






街明かり


まるで皮を剥がれた蜥蜴かなにか、もしくはもっとおぞましいものが窓に映る、いや、それは鏡。曇りなく磨かれた鏡を覗けばそこには醜い鬼が立っている、人の心の闇に巣食い、人の命を喰らう鬼が。灰色に変色した皮膚と隻腕、鏡像を擦っても、ぐにゃぐにゃ歪な指の跡が付くだけで、鬼はちっとも姿を消してくれようとしない。べろりと皮膚ごと剥けたきり生えてこない毛が一本、長く皮膚の下で丸まって痒くて、鬼は自分の頭を片方しか無い腕で掻き、薄皮を破って皮膚の下から毛を引きずり出す。血は出ない、ずるずる伸びるそれを引っ張り、鬼は遠い昔に見覚えのある色の髪をぶっちり根を残さず引き抜いた。
太く縮れた毛を床に落とそうと骨の歪んだ指を払おうとすると、壁際のベッドから立ち上がった彼女が青くしなやかな指でそれを止めて、誰かが必要とする筈のない毛を取る。鮮やかな橙色の太い髪。イェニーは鬼がいらなくなった毛を大切に、左右の端を両手に持って伸ばし、電灯の光に透かして見る。鮮やかな極彩色のオレンジ色はまるで夏の日に収穫したオレンジのようで。それから、鬼が何時も被っている南瓜の被り物のよう。イェニーはなんだか良い物を見つけた気がして、コレを貰っていいか、と鬼の手を握る。毛細血管の一本一本まで透けて見える手指は皮膚が薄く、肉もとても柔らかくて触り心地が良いらしい、イェニーはそのままむにむにと手を遊ぶ。
「やっぱり貴女は変わってマース」
欲しければ好きなようにすればいい、どうせいらない物なのだから、と鬼が伝える前に、イェニーはパッと手を離し、毛をもぞもぞ片手で弄りだす。手首に巻きたいらしい。鬼は暫くそれを観察した後、どうしても出来なさそうだと判断して爪の無い親指と人指し指で毛を抓み、同じ様片腕しか使えないというのに器用にイェニーの手首に巻く。意外な長さのあるそれは細い手首に二巻き分もあって、リボン結びにして丁度良い。くふふふふ、と嬉しいのか、手首に巻かれたそれが金の腕輪とでも言わんばかりにぶんぶん振り翳し、鬼にも見せびらかすようにして喜びを露にする。濁った瞳に映る彼女の笑みはまるで太陽の様で、鬼は目を細めた。
眩しくも優しい人間の理想の表情、本で読んだブレスレットというものが欲しくなったのだとかで、欲しい物があるなら一級の物を幾らでもプレゼントすると鬼は何時もいうのに、今こうしてイェニーは幸せそうにしている。物の価値は人其々、蓼(たで)食う虫も好き好き、鬼からすれば彼女の価値観はほんの少しばかりズレている。例えば、こんなに醜い自分を相手にする、だとか。ちょっと離れて部屋の真ん中に踊り出て、手を大きく広げてくるくる踊るイェニーは、そろそろ恥ずかしくなってあのややこしい作りの服を着ようとした鬼の手を取り、一緒にぐるぐる回りだす。
「だって綺麗だもん、あなたの髪v」
前は鬼が服を脱ぐことを限界まで嫌がったものだから、何時も服は破られていたのだから、ああして綺麗な脚にずもずも踏まれるのは寧ろご褒美か。イェニーはぐるぐる回るのが好きだ、視界に入る色がぼやけて線になって後ろに吹っ飛んで行くような風景が楽しいらしい。足元でぺったんこになっていく服を見ないようにしながらそれに付き合う鬼は、特別な訓練の所為でそのぐるぐる回る世界を味わったことがなかったが、こうして彼女の顔を見ているだけでも楽しかった。それに、世界をこうしてぐるぐる回している時は、手を取り合い一緒に回っているイェニーの顔しか見えない。最高。
一頻り回って、回って、脚が疲れてくる頃合になったら、そのままベッドに飛び込むのが回る世界の楽しみ方。片手だけでぶんぶん回していた痩せ細った鬼の体を一気に引き寄せ、抱き抱え、イェニーはそのままベッドに飛び込んだ。二人分の体重をかなりの勢いでぶつけられて、ベッドのスプリングがベキベキッ、という嫌な音を立てたが気にしない。あまり長い間下敷きにするのも可哀想だと思ったイェニーは、鬼を抱いたまま仰向けになり、ぐわんぐわん歪む天井と沈むような感覚に大笑いした。何がそんなに面白いのかと聞かれてもおそらくイェニーは答えられない、兎に角興奮して、最高にハイ! ってヤツになっているのだ。
とりあえず宥めておくべきか、と鬼は彼女の腹筋に小刻みに揺さぶられながら、くびれた腰に手を当ててぺしぺし叩く。効く訳が無く、寧ろ逆効果だったのかイェニーは抱き締める力を強くして、ベッドの上をゴロゴロ転がる。がつん、痛い音、右に転がり続ければそこにあるのは壁。丁度鬼が壁側に来る時、本当に壁に当たってしまった運が悪い鬼はイェニーの代わりに壁に後頭部をぶつけてしまう。流石に正気に戻ったらしい、大丈夫? と、イェニーは鬼のこれまた皮膚がむにむにした灰色の後頭部、今は少し薄赤くなったそこに手を当て、摩る。此方を心配そうに覗き込んでくる黒に浮ぶ銀を見て、鬼は頭をぶつけたのが自分でよかった、と口元を上げた。
「……ミーはアナタに会えて幸せデース」
こんなにも自分を愛してくれる人がいるだなんて、鬼は目を瞑って祈るように呟く。抱き締められた胸に頬を寄せ、すりすり頬擦りをする。こんなに醜い自分を生身のまま抱き締めてくれる人がいるだなんて、なんて自分は幸せなのだろう。イェニーのすべすべの皮膚が直接自分の肌にくっついていることが、鬼は堪らなく嬉しくて、訳隔てなく愛情をくれるイェニーに対して未だにほんの少し素肌を暴かれることの恐怖を覚えていることに、ほんの少し負い目を感じる。守られていると実感する為か、腕の中で小さく縮こまる鬼を見て、イェニーは少し眉を寄せて口をぱくぱくさせた後、漸く良い例えが浮んで直ぐに喋りだした。
「街灯は街の人が夜でも街の人が迷ったりしないように点いてるじゃない? で、遠い国の事は知らないけど、それはあたし達にとって、何時も点いてるのが当然のことじゃない?」
鬼の肌はすべすべだ、正確には人間の理想的な肌の状態のすべすべではなく、まるでイモムシか何かのような、柔らかい中身をほんの薄皮で皮に余裕を持たせてふわりと包んだような感触。イェニーはこれが好きだった、このちょっとだけプヨプヨした所と、なんだかお餅のような肌の手触りが。得に手の平、片方だけしか無い分その片方を両手分だけ使うので、皮膚のプヨプヨに筋肉の弾力が加わって、何ともいえない感触がしてイェニーは大好きだった。それからこの、遠慮がちにしわしわの瞼を明けて、此方を見てくるところも。痛い所を慰めていた手が、今度は愛でるような動きに変わって、ぷよぷよをふにふに掴んで触る。
「ユリアーナやみんなにもだけど……今のあたしは街灯なの、あなたが迷っちゃわないよう愛で照らす為に、こうやって、当たり前としてここにいるのよ。それに、勝手に消えたりもしない」
幸せなことは当たり前なのだからそんなに有り難がらなくて良いのよ、と彼女は困った様な顔をして、鬼の途中から千切れてしまった方の腕の腋をふに、と掴む。普段特に触られない部分を擽られて、鬼は思わずぐねぐね身を捩る。人をおちょくったような口調とは裏腹に何時も冷静な彼にしては珍しく、ケラケラ笑う鬼の体を片手で押えて更に擽ると堪らずまた彼は声を大きくする、ふにふにむにむに、鬼の体は見かけよりもずっと温かくてこうして引っ付いているととても気持ちが良い。
そんな気持ちが良くて、自分の頭をぶつけたことよりも相手が頭をぶつけずに済んだことを喜ぶ彼のものだからこそ、こうして手首に巻いてもらった髪のブレスレットが嬉しく感じられる。この色は、この夕焼けの様に鮮やかな色は、この恥ずかしがり屋な鬼の本当の色、だから誰かに見せびらかしたくなった。こんなにも綺麗な色を貰ってしまったのだから。掴み撫でていた手を離し、電灯の光に髪のブレスレットをもう一度透かすと、髪はキラキラ光って薄い色が透けて見えた。黒い濁った目はコーヒークリームを垂らしたばかりのコーヒーに似ている。放した腕に鬼が擦り寄る、イェニーが試しにもう一度擽ってみると、いへへあ、と妙な笑い声を上げて笑う。前の感覚が忘れられなくなって、ちょっと指で掠めただけで笑い転げる鬼は、まるで本当に赤ちゃんのよう。
「ほら、だからもっと嬉しんでいいのよーv」
「しあわせー」
恥ずかしがり屋で優しすぎる鬼は、歪んだ骨と爛れた皮膚で出来た醜い顔でも、心からの微笑みを浮かべられるのだとイェニーに教えられた。この感触は、確かにイモムシにも似ているが、まるで生まれたばかりの赤ちゃんにも似ていることを今度教えてあげようとイェニーはそっと鬼のくしゃくしゃした瞼を撫でた。

貞子はエリーがお気に入りのようです。 [小説]






宣戦布告物語


「おろして! おろしてー!!」
腕をぱたぱた動かして暴れる様子を愉快千番とばかりに彼女はカラカラ笑う。カラカラ、椅子に座ってファッション誌を読んでいたエリーに忍び寄って勝手に肩車にし、からかって楽しむ。すっく、と突然視界が高くなったとか思えば、勝手に何処かに連れ去られかけているという状況は、端から見れば微笑ましくてもエリーにとっては堪った物ではない。
必死になって体を捩り、なんとかして降りようともがいているが、またその様子を彼女がカラカラと笑うだけ、脚はがっちりと掴まれている。ふと彼女はエリーの体を支えていた自分の手を放す、そうなれば押えられていた足も放たれ動くのだから、当然脚に体が弾かれてエリーの体は斜めに。
ひゃっ、とエリーは悲鳴を上げて近くにあったものに掴まる、黒く艶の無い髪が長く伸ばされた彼女の頭、悔しさを滲ませて、うぅ、と呻く、そしてまた彼女はカラカラ笑う。意地悪な彼女はその後も脚を掴まない、のしのし構わずに歩かれるのだから頭にしがみ付いていなければ落ちてしまう状況、エリーは唇を尖らせた。
途中二つ程の扉を開けて、隠し廊下を三つ抜けて、その度に低くなった天井に頭をぶつけそうになりながら、そのわざとフラフラさせてしがみ付かせようとする脚はエリーの知らない部屋まで来る。扉を潜る時は特に体を伏せないとエリーは頭をぶつけてしまう、しかし、伏せるとなると彼女の頭に更に強く抱き付く形になり、それが癪だと抱き付かなければ痛い思いをするのは自分な訳で。
またエリーは痛いのよりも痛くないが恥ずかしい方を選んだ。線と角で構成された寒々しさを感じる家具と日の光を多く取り入れるには小さすぎる窓が、一、二、三、四、五、六、お陰でこの部屋は明るく部屋の窓から注ぐ太陽の光が暖かい。アンバランスで不思議な部屋にエリーが見慣れない眼を向ける最中、よいしょ、とエリーの体はまた突然エリーの意思や合意に関係無く宙に浮き、ベッドの上に投げ出される。
もふん、柔らかく受け止めてくれる羽毛布団、ベッドがふかふかなお陰で体が痛かったりすることはないが、乱暴に扱われて好い気がする訳が無く、直ぐに体を起こして文句を言う。今度は本当に意地悪でやった訳では無く、下ろそうとして手が滑ってしまったらしい、振り返って、自分がしてしまった結果に素直に謝る。
「少し手が滑っちまった、すまないね」
普段なら後五倍は文句と罵詈雑言をぶつけてやるところ、表情は解らないがあんまりに真剣な声色で謝られ、エリーは逆に戸惑う。意地悪な人なら最後まで意地悪でいれば文句を言うのも楽だというのに。痛いところはないか? と、彼女はベッドに乗り、おそらく打ってしまったなら一番強く痛むだろうエリーの脚を、労るようにそっと摩った。
「もうっ……そんなにごめんするなら、べつにゆるしてあげないこともないけど……」
「そうかい……ふぅ、折角プレゼントの一つでもしようって時に喧嘩にならなくて良かった」
摩られることが段々こそばゆくなったのと、優しすぎる動きに少し照れてきたのと、エリーは彼女の手から脚を逃がす。今度は追われる事はなかった。プレゼント、全く予想もしていなかった響き、頭がついて回らず首を傾げるエリーの前に銀色の小箱、先程エリーが部屋の慣れない景色に眼を移している時に取ったものを彼女は差し出す。聞き返す暇も無くぱっ、と手を放されて急いで受け取る。
箱を見たら開けたくなる、それが自分へのプレゼントならなおさら、手の平にリボンや包み紙の無い箱、感じる重さはそこそこ、表に銀細工の施された大人が持つような本物の宝石箱、中身を壊さない程度に揺らすとかしゃ、と硬質な音がした。エリーは一刻も早く自分の手指を活用して箱を開けたくなったが、どっこいお行儀が勝ち、開けても良いかと目線を向ける。
そんなエリーがあまりに可愛くて、彼女はまたカラカラ笑い、良いよ、と空色の髪を一撫でした。頑丈そうな蓋は案外あっさり開き、中に入っていたのは青い蝶、日に透けるような輝きを持った青い細工の蝶、触覚から繋がり銀で縁取られた羽の青には独特の波紋が浮び、そこから渦を描いて色味を深くする不思議な細工の施された青い蝶の髪飾り。
「きれい」
うっかり壊してしまわないようにそっと取り出して手の平に置くと、その羽の波紋がとても美しく、羽の目玉模様の部分だけに付いていた黒い石は、光に透かすと赤く輝くのだと解った。彼女はそれを見ながら懐かしむように目を細め、エリーの手の平から蝶を抓む。折角の髪飾りなのだから、髪飾りらしく髪を飾ってもらおう、エリーの頭にそっと手を添えて向きを変える。
蝶を空色の髪に押し付けると、青空の下を蝶が飛んでいるようだった。軽く手櫛で髪を梳かす間、撫でられるより地肌に近い感触になんとなく、本当になんとなくエリーの体が震える。彼女の手櫛が上手いこともあり、さらさらの髪は指に引っ掛かることもなく、挿し込み、挟み、青い蝶は見立て通りにやっぱり似合っていた。鏡を探してエリーの目が彷徨う、ベッドサイドに置かれた手鏡を焦る手付きで取り、眼を輝かせた。
鏡には幼さの中にどこか大人びた美しさを持つ少女が映っている。エリーが鏡から顔を離すと、髪の下に隠れた表情で彼女は微笑む。つい、つられて笑い返してしまいそうになり、はっ、と思い出したようにエリーは顔を顰めた。彼女は不思議そうに自分の前髪を弄りながら、横座りのまま俯くエリーににじり寄る。嬉しくないのか、と聞けば、嬉しい、とふるふる首を振って素直な返事。
「エリー、ものになんかつられないもん。……オクシーあげないもん」
ぷっ、と思わず吹き出してしまいそうになって、寸での所で彼女は堪えた。どんなに可愛かったからって駄目だ、エリーは本気でオックスのことを取ってしまおうとしているのだと思っている、笑ったら失礼だ。当然彼女にそんなつもりはなく、ただ似合うから、と、ほんの少しの郷愁。ふい、とそっぽを向いたエリーはまた唇を尖らせていて。彼女の中で意地悪な気持ちがむくむくと膨らむ。くるくる変わる表情、そして何れも好ましい、まるで空の色のようだ。
「安心なさい、オックスのことをもらうついでにお前ももらうから」
「えっ」
同時に抱き締めたいという気持ちも、それはもう、むくむくと。
驚きで跳ね、揺れた空色で、蝶はひらひらと羽ばたく。はなしてー、はなしてー、と暴れる空色でも。突然、瞼に当たった少し冷たい感触に大人しくなってしまった空色でも。それがキスだと解って固まった空色でも。蝶は空の色を好いて飛ぶ。彼女は意地悪にカラカラと笑った。

カルダちゃんお誕生日おめでとうお祝い捧げ物SSS [小説]






夜を疾る


瞑った瞼を硬い物が突付かれる音が明ける、薄っすらと涙を溜めて開かれたこげ茶色の瞳、かつん、かつん、突付くそれは鳥の悪戯にしては夜遅すぎる、夜雀が住むような場所にこの家はあるわけない。かつん、かつん、半寝ぼけでやっと確かになった天井は間違い無く彼女の家で、頬を掻いて少し痛い、夢じゃないと知らせる。睫毛が痒くて目を擦る、手で被われた暗闇に一つの物が浮ぶ。
『3月24日23時』借り物の上着のポケットに縫い付けられていた、自分宛のメッセージカード、カルダは掛け布団を吹き飛ばす勢いで起き上がった。かつん、かつん、時計の針は11時を指している。少し不安になってメティくんをぎゅう、と抱く。
こんな時間に一体誰だろう、というよりどうやって窓から、徐々に強くなる音とガラス越しのくぐもった声、けっこうに聞き慣れた、たった一日で更に聞き慣れた女性の声。バルベルの声。どうやって、簡単な話、飛んでいるのだ。
飛び起きた勢いのままカルダはベッドから下りる、同室のレイアは静かな寝息を立てて眠ったまま起きない、揺さぶってみても不自然なほど起きる気配はない。夜の空気が冷たくカルダの頬を撫でた、こつん、こつん、この状況はとても不自然で、でも聞こえる声は知り合いのもの、室内でこの寒さなら外はもっと寒いわけで。
バルベルの申し訳程度の布しか身に付けていない服装、それを思い浮かべ、カルダはぶるりと震えて窓を開けることにした。
かつん、かつん、カーテンを開けて見えるのは、夜にやってきて子供を攫う怪物などではなく、やっと気が付いてもらえたことへのぱぁっ、と咲く笑顔。そして何時も通りの申し訳程度の布の服どころかその申し訳程度のものすら取り去ったいっそ清々しいパンツ一丁。
見れば見るほど寒い、カルダは近くにあった借り物の上着を羽織り、窓を開け放った。びゅう、と羽ばたきと共に冷たい風が一気に吹き込む、凍えるようなそれにカルダは目を細め、もし寒がるならバルベルに渡そうかと思っていた上着の襟を押える。
予測していたとはいえ冷たすぎる風に眼を瞑ると、不思議なことに次の瞬間カルダの体は風に当たることがなくなり、何かふにふにぽよぽよとした物に包まれていた。
「カルダちゃんっ、うふふー…ベルお姉さん便よー♪」
目の前が青い。ふにふに、ぽよぽよ、大きな胸は人のものよりも体温が幾分か低かったが、カルダの体を包むのには申し分なく、苦しいほど。もごもごと顔を動かして、今度はカルダがくぐもった声で何かを、バルベルのことを呼んだ気がするが、乳圧でとても言葉にならない。
好きなだけすりすり子供の温かさを堪能したバルベルは、暫く経ってやっと窓が開けっ放しだったことに気が付き、酸欠でふらふらする少女を解放した。羽をしまいながら窓を閉める。尻尾が彼女の機嫌を示すよう、楽しげにダンスを踊っていて、くるぅり回れ右したバルベルは自分のパンツに手を突っ込む。そしてごそごそと。カルダはとりあえず、気を使って目を閉じようとした。
ごそごそごそごそ、パンツから取り出されたのは上着に縫い付けてあったものそっくりのカード。頬に硬い物が当たって、カルダはそれを手を伸ばして受け取る。それは生暖かい。お姉さん便、つまりこれは手紙? バルベルは速達だと笑う。
「お姉さん?」
「だって、今日貴女ってばお誕生日らしいじゃないv」
開けばハッピーバースデーの歌を歌うカードに、様々な字で書かれて寄せ書きのようになったバースデーカード『カルダちゃん11歳のお誕生日おめでとう!!』と、続いてバルベルはしゃがみこみカルダをふんわり抱き締める。さっきのは自分でもやりすぎたらしい。
確かに今日はカルダの誕生日、目が覚める前、眠りに付く前は彼女とレイアとルーク、家族三人で誕生日を祝っていた。未だに眠ったままのレイアのことを言うとバルベルは、カルダも知ってるピンク色のもふもふがカルダの誕生会の料理に一服盛って、朝までぐっすりといくようにしてしまったのだとか。全力で犯罪である。
ピンク色のもふもふにカルダは心当たりがある、寂しげな人形の部屋にいた、人間じゃないみたいな人間。それが今日この家にいた? 来たという話は聞いていない、困惑の表情を浮かべるカルダを諭すようにバルベルは、あの子は恥ずかしがり屋だからこっそり来て、あたしがこっそり会えるようにしたのよ、と太陽の色の髪を撫でた。
本当に家人達全員が気が付かないよう隠密に侵入して、もし盛られたものが毒だったらと考えるとぞっとする話だが、今カルダが眉を下げるのは、折角来てくれたのにメティくんの紹介も一緒にお祝いも出来なかったこと。下がり眉に青い指を当て、バルベルはぐにぐにとカルダの眉を釣ろうとする。
「ごめんね、本当はあたしも一緒にお祝いしたかったんだけど、うちでもパーティーがあったから」
「……パーティー。すっごく素敵、なにのパーティーだったの?」
「そんなの決まってるじゃない、カルダちゃんの誕生パーティーよ!v」
突然予想もしていなかったことを言われ、眼を白黒させるカルダに、バルベルはウインクを投げ掛けた。すっくと立ち上がり、またパンツをごそごそごそごそ、別にかなり前に兄貴分であるコルヴェットの部屋でちらりと見てしまったえっちい展開ではないと知りつつ、カルダはやっぱり目を逸らす。日を跨ぐ前にね、と、こげ茶色の眼が向いた方にある時計は、もう日を跨ごうとしていた。
手渡された物は少し硬めの紙にボールペン、クレヨン、マジック、と統一性無い筆でこれまた統一性無い文体、具体的には何処の書道家かと疑う程達筆な『い』の後に蚯蚓がサンバを踊ったような字で書かれた『つ』、という、明らかに何人もの手で書かれた『いつでもすきなときおたんじょうびぱーてぃーするけん』、クレヨンで書かれた花で縁取られたそれには、カルダの笑顔が描かれている。
一度会ったら友達で、二度会ったら兄弟。そんなあの家の子供達はカルダの誕生日と聞いて何もしない訳が無く、最初はカルダをもう一度屋敷に連れてくることが提案されたが、それではカルダが家族とお祝いできなくて可哀想、という訳でそこはグッと我慢をしたらしいが、離れていても祝うことだけはしたい、とパーティーをしていたのだという。
それでも、それだけでは満足出来るわけがない、ちゃんと面と向って彼女が産まれてきたことを祝いたい、考えて考え抜いた子供達の到達した答えが、これ。バースデーカードと、何時でも誕生日する券。ほんの二枚の紙を片手で持つ気になれず、両手で持ったカルダはバルベルの顔を見上げる。
「今はこれが精一杯だけど……今度来た時にちゃんと使ってあげてね。プレゼント、ちゃんと沢山用意して待ってるから……っ!」
笑顔の絵を書いた彼は大喜びするだろう、何故なら彼の書いた絵はこの瞬間の彼女の笑顔にそっくりで、それ以上に可愛らしかったのだから。バルベルはまたカルダのことをまた抱き締め、ちゅ、ちゅ、と左右の頬に一回ずつキスをした。カルダもまた、バルベルの頬にちゅ、と一度。
その時、遠く夜を疾って、「カルダちゃん、11歳の誕生日おめでとう」「産まれてきてくれて、ありがとう。」そう、友達の声が聞こえた気がして、彼女はふと顔を上げた。幻聴なんかじゃない。あれは、確かに。カルダは手元で銀の色鉛筆で書かれた文字を人差し指でなぞる。離れた場所、自分は知らず知らず沢山の友達を持って、産まれてきたことを自分が知る以上に祝われていたのだと、カルダは遠い友達のことを思いながら深く頷いた後、もぞもぞバルベルの腕から身を乗り出して、窓に一つ投げキッスをした。ちゅ、と小さな音が響く。
「うんっ……!」
届けば良い。
もしも、届いていないなら何度でも、『みんなも産まれてきてくれてありがとう』そう伝わるまで、何度でもしよう。カルダは友達の思いが遠く夜を疾って来たよう、自分の思いも蝙蝠の羽が生えて銀色に輝き、自由迅速に月光の下を疾ってゆく。そんな気がした。

カルダちゃんとピンク色のもふもふ [小説]






目が覚めた時、彼は眠りに付く前より息苦しいことに気が付き、またか、と溜息を吐いた。また勝手に毛がびよびよ伸びている、頭の先から足の裏まで。ただ、顔は半分無事なのが救いか。暗い視界から木漏れ日のように覗く光を見ながら、天窓から日が入るということは今は昼頃か、と目を細め、このまま昼寝の続きをしようと彼は目を閉じようと……して足音に気が付く。小さな裸足の足音。子供の物らしく、自分はどうやらその音で起きたらしい。少し考えて、折角来客が来たのだから、やっぱり彼は目を覚ますことにした。来客が来たのなら、相応におもてなしをしなければならない。相応に。


死んだフリ


その部屋は沢山のぬいぐるみに埋もれていた、大きい物、小さい物、人の形の物、動物の形をした物、高い天井に目を丸くしながら、カルダはふかふかの絨毯の上を進む。裸足の脚が埋まってしまうほどの毛足は文字通りに空の色をしていて、雲を表しているらしい白い渦が人形とクッションの間から覗いている。天井には太陽と月の絵が、天窓になっているらしい部分からは本物の太陽の光が入ってきていて、とりあえず……扉を開けたら異世界でした、ということではないのだと、ライオンの脚に躓きながらカルダはきゃっ、と小さく悲鳴を上げた。
読書の最中だったとはいえ、ターッチ、カルダちゃんが鬼、などと言われてば、余程虫の居所が悪いか没頭しているかしなければ、断る気にならないのが子供のサガ。カルダはその後者、没頭する類の性質を持ってはいたが、その時ほんの読み始めだったことも相まって、半ば強引に押し付けられかけた鬼を引き受けてしまった。もふもふ、絨毯の上で手足を動かしてみると、これまた子供のサガを刺激するようななんとも言えず心地良い、微かに花の匂いが混じる柔らかい感触が彼女の体半分を包む。このままでは眠ってしまう、カルダは思い切り腕を突いて、なんとか睡魔を断ち切る。
此処は自分のような子供部屋なのだろうか、寝転がった形から座る形に変わって、天井で優しい微笑みを浮かべた太陽の模様を見上げた。周りを見回す、うず高く積まれたたくさんの形、この屋敷にあるものは人の迷惑にならないことを考えた上で使うなら大体好きにして良い、そう彼女は家人達が言っていたのを思い出し、カルダは言葉に甘えてカルダ転ばせた事件の容疑者であるライオンを手に取って見る。鮮やかな色の青いガラス球の目に、皮の肉球の付いたぬいぐるみは、がおお、とでも吼えるように口を大きく開けており、小さな牙は本物の獣の牙を加工して作った物らしかった。
少し視線をずらす、ライオンの下にあったりは大きな白いキリンのぬいぐるみ、カルダは同年代の子よりも小さいが、ひょっとしたら今から一、二歳これからカルダが成長したとして、それでも追いつけないのではないか、という程大きな大きなぬいぐるみ。カルダはそっとライオンを置いて、白い毛並みを触り、家に置いてきてしまった「メティくん」を思い出す。白いクマのぬいぐるみで、彼女の一番のお気に入りだ。首を辿って金色のボタンの目を覗き込むと、新品のようにぴかぴかのそれには不思議そうな顔をした自分の顔が映っていて、こげ茶色の瞳がクッションの山を見る。
この部屋はこんなにも物で溢れているのだから。特に、この中なら見つけ難く、見つかりそうになったら直ぐに逃げられる。この中に誰か隠れているのではないだろうか。そう考えて、山の間から脚を放り出したそれを引っ張り出してみると、それは人懐こそうな笑顔の黒いクマのぬいぐるみ、何故かカルダにはこのぬいぐるみが寂しそうに見えて。脇に下ろして、市松模様のクッションを退かす、投げても良かったが流石に人の物を乱暴に扱う気になれず、花模様のものと一緒に除ける。二人手を繋いだピエロのぬいぐるみが笑っていた。
やっぱり、ぬいぐるみ達はみんな寂しそうだ、新しく掘り起こしたぺったんこの馬をカルダは抱いてみる。普段メティくんを抱いている時、こんな風に胸に穴が開いたような気分になったことがあっただろうか、まるで自分までその人形の一つになってしまったかのような。ぶるり、と途端に怖くなって、早くこの場から離れなければ取り返しが付かないことになってしまう気がして、急いで腕を抜こうとした時、何か柔らかく、人肌に温かいものが指先に当たったのに気が付く。恐る恐る、周りを崩して当たった物を確認してみると、それは正に濃いピンク色の毛玉。
大きさはカルダの身長と大して変わりは無い、それには顔らしいものが長すぎる毛に埋まり、ギリギリ手足が付いていることが確認出来る程度で、何のぬいぐるみなのかも解らない。長い毛に指を絡めてみる、ふわふわ、人工繊維から遠い生き物の温かさと柔らかさ、ふかふか、人肌、ということはこの部屋の持ち主はついさっきまで此処に居たのだろう。カルダは一刻も早くこの部屋から出て行きたかったが、それを止めることにした。それに寄り掛かる、柔らかくて温かい芯があって、そこから電気毛布やそういった物からは伝わらない、ぬくぬくじわりと染みるような、生き物の匂いがして、それが先程までのカルダの怯えを優しく拭う。
深い毛足に山吹色のニットワンピースを着た肩が埋まり、疲れた体にまたじわじわと睡魔が這い寄る、そう、山崩しで疲れたから一休みしよう……だから一休みでお昼寝という訳にはいかない、ぼんやり落ちそうになった瞼を起こす為に頬をぺち、と叩く。ひろん、と頭らしい部分から出た毛の塊を手に取って、撫でた。寂しげな人形達、そんな中で自分をこうして慰めてくれたぬいぐるみ、寂しいのなら簡単なこと。自分が友達になってあげよう。もふもふ、ふかふか、綿花の弾けた実のような感触に、カルダはなんだか嬉しくなってきて振り返り、胴体と思わしき部分に顔を埋めた。
そうだ、メティくんも一緒なら、お友達は自分も入れて二人になる。今度連れてきてあげよう。ぬくい、ふわふわ、ふかふか、花の匂い、沈丁花の花の。甘い匂いを胸いっぱいに吸って、勢いよく顔を上げるとまた香りが漂う。どうやら、部屋の香りはこのぬいぐるみから漂っているらしい、そういえば、お腹にポプリを入れたり出来るぬいぐるみをカルダは見たことがある。あの時ショーウインドウで見た、ピンク色の狐のぬいぐるみ、綺麗な明るい紫色のボタンの目が付いていて、少しだけ欲しかったが我慢して本を買った。
色鮮やかな挿絵の入った世界の童話が沢山載った本、それを買った翌日、売れてしまったのかショーウインドウにピンクの影は無く、我慢をしたのは自分だったというのに、カルダはなんだか悲しくなったことを覚えている。なんだか、あの時のぬいぐるみに再び出会えた気がして、カルダは撫でていたピンクを辿り、毛に埋まっている顔を掘り起こしてみることにした。明るい紫の瞳をしているとは実はそこまで期待していない、ただ、そうだったら良いな、と前に読んだ本のことを思い出して考える。手に伝わる感触は繊細で、千切ってしまわないよう気を付けながら、離れ離れになっていた友達がもう一度出会い、沢山話をする物語を思い浮かべて掘り進む。
「…………」
「…………」
埋まっていたのは褐色の肌をした生首。
ぱっちりと開き、此方を何も語らず静かに見詰める眼は、ボタンなんかじゃないが思い出に似た明るい紫色。カルダは声無く驚いた。

SSS:オクシーは大変仲良くされているようです。 [小説]






先ずは交換日記から


しぱ、しぱ、と猫が人の頬でも無意味に舐めているかのような、しっとり湿ってそれでいて肉感的なものが、同じ生身の皮膚の上を滑る音が室内に満ちている。白と黒の長すぎる糸溜りの中心、ソファーに座った客人、オックスは自分の置かれた状況に如何にかして抗おうと膝に力を込めるが、見計らったように腿に絡み付く固い尾。秒針の形をしたそれは、人工物を思わせる見かけ通りと掛け離れてしなやかに動き、見かけ通りに鉄や鋼のように硬かった。
コーヒーを煎れて来る間、子供にわさわさされては話が出来ない此処で待っていてくれ、と言われて壁に掛けられたそれが合っているのなら十分程が経過するが、家人達は一向に姿を現す様子は無い。ただ一人、こうしてソファーの周りに渦を描いてオックスを髪で取り囲み、右足首を只管舐めている彼を除けば。壁に叩きつけられる勢い投げられ、今は遥か遠くにある自分の靴と靴下見ながら、オックス深く長く溜息を吐く。しかし、水音が止む気配は無く、しぷ、しぷ、と美味くも無いであろう足首を彼は舐める。
あまりの気まずさを感じたオックスは、表情を窺ってみようと試みるも、白くもこもこふさふさの毛が完全に顔どころか全身を覆ってしまっている為、どんな顔をして人の足なんか舐めているのかも解らず、手指が触れる感触で踵に指が添えられていることが解った。オックスは一応なりとも客人だが、ほぼ初対面の人間にこうして足を舐められるような、それこそ媚を売られるような理由に心当たりは無く、思わず心の中で首を捻って悩む。心の中で、と思っていたのはオックスだけで、実際は髪も揺れない程度に現実でも首を捻っていた。
「どんな味がするのかな……俺味、とか」
返答は最初から期待していない、この屋敷の家人の一人であり、珍しく一般的な常識感覚の伴った彼の話を思い出して、思わず呟く。右足を一周、彼はそこだけを集中して舐める。古く痣になったその場所は、他のどの部位よりも皮膚が薄く引き攣れていて、痛みこそ無いが、唾液で溶かすように舐められていると時折鈍い痺れのようなものを感じる。まるで獣の様な動きは、捉えようによっては性的なものを匂わせていたのかもしれないが、オックスにはその行動が何故かそういった意味を持つように感じられなかった。
このまま放置しておけば、痺れは痒みに、痒みはその内痛みになるのではないか、本当ならもう少し手荒にでも振り払う方法はあったかもしれない。しかし、下から大きく捲ることの出来る緩い服の下、目に見て取れる程に膨らんだ腹部はオックスの彼に対する行動を制限してしまう。万が一のことがあったら、あまりにも寝覚めが悪い。まるできめ細かい泡に包まれるような、意識してそこの動きを感じると、唾液に濡れた舌は例えようが無い程に柔らかく、細やかな動きをしているのだと解る。
「……ひょっとして俺を労っているのかな」
体内に抱いている胎児と同じ、ぐるり、と手足を縮めてオックスの足に纏わり付く彼は、オックスの側から見ると白い毛が全身を被っている為、見様によっては大きな犬に見えた。獣が生きた何かを舐める時というのは、相手の傷を労る時。その痣は確かに深すぎる古傷の名残、ひょっとしたら彼はそれが解っていて、傷を治そうと傷痕に舌を這わせているのかもしれない。そう、オックスはふと考え付いた。腿に絡み付いていた尾が一瞬緩み、やっと開放されたかと思うと、また締まる。どうやら痺れたらしい。
手を伸ばして足元の白い髪束をオックスが掴む、見かけよりも質量のあるそれは、触れば確かにその心地良さが作り物じみていて、同時に覗いてはならない物への恐怖に似た生々しさが篭っている気がする。掻き分け、掻き分け、指先が柔らかい温かさにほんの僅かめり込んだのを感じると、そこには褐色の頬が。刺し込んだ光に少し目を細めはしたが、彼の赤と、額の金の眼はじっと此方を見ている。確証は無いが、きっと最初からオックスのことを髪の下から見ていたのだろう。
血の色を映した真っ赤な舌は忙しなく動き、オックスが手を伸ばして彼の髪の構いだしても変わらず、一束取ったものを勝手に三つ編みにして、更にはその三つ編みを三つ作って更に三つ編みにしても反応は無い。ただ、じぃ、とオックスに確かな生き物の視線を投げ掛けている。腕が疲れたのでオックスも手を伸ばすのを止めた。結ばれなかった三つ編みが解けてゆき、根元だけ緩く残る。ぴたり、彼は口を開けたまま瞼を閉じ、添えられていた指の感触が無くなった。
様子を窺う為にオックスが背凭れに埋めようとした頭を上げ、目線を向けると、彼は床に寝転がったまま、放した両手を自分の子を宿した腹部に置き、動かない。もう臨月間近まで膨らんでいるよう見えるそこに手が当てられて、薄手の服が更に寄せられたことで、腹部がもぞもぞ隆起しているのが見て取れる。蹴っているのだ、子が。すりすりと子を慈しむ様子は、良く見れば無表情のそれが微笑んでいるように見えて、オックスは知らず知らずに頬を緩ませる。ぽこり、と胎児の寝返りで出っ張った所を、指で抓み摩るように。
ふいに、赤い眼がぎらりと此方を向き、膝の上に置いていた手を引っ張って腹の上に押し付けられた。突然の事に驚くが、彼はぐいぐい押し付けるように腕を引き、オックスの手の平に胎動が伝わる。感じる、ぐるぐるとその場で手を曲げ伸ばししている子と、外の動きに蹴って返事をしている子、手の平に当たる確かなもの、内部から肉と皮膚を明確に持ち上げ動きが伝わった。こんな腹部を、それも身篭った無防備な腹部を人に触らせるなんて、犬でももっと警戒心を持つものではないだろうか。
服の裾から強く引かれるままに地肌に触れ、ざらざらとした妊娠線を越えて、張り詰めた腹部を直に触らせられた。もう一人その場でぐるぐる動いている子が、その三人の動きの間に一人分の空間があるように感じて、彼の体内には四人の子がいるのがより明確に。細腕からは考えられないような強力が止み、オックスの腕が自由に、それこそ何をしても制止されない状態になる。こんな、自分の最も弱い部分をいとも簡単に曝すなんて、本来ならこういったことは互いの事をよく理解した上、夫婦間等で、それこそ、互いの弱みまで知り合い信用し合える仲になってこそ。そこまで考えて、オックスはぶふっ、と少し間抜けな音を立てて噴出した。
「そうか、君は俺と仲良くしようとしてるのか」
今度はしっかりと自分から当てた手の平ににぽこり、と隆起した皮膚が当たり、胎児がオックスに返事をする。平を這わせていると、指先が彼の臍に引っ掛かり、無表情が一瞬眉を顰めた。そう、仲良くしたいから、それこそこの行為に違和感が無いほど深く知り合いたいから、弱い部分も何もかも見せる。考えるまでも無い答えに対して、オックスはそのまま肩を震わせて深く小さく笑い出し、彼は空いている方のオックスの手を取ると、クリームでも付いているのかというような動きで、ぺろ、ぺろ、と丁寧に薬指を舐めた。

年齢差が犯罪だけど愛さえあればこの家で気にする人はいないよSSS [小説]





雪割りの花


アイお姉ちゃんがいない。アイゼンエルツが何処を探しても家の何処にもいない、と洗い終わった洗濯物を籠に押し込めて次は物干し、と一息吐いていた『ヴィンセント』と呼ばれている彼の前にやって来たブラーは、随分高い目線に顔をいっぱいに上げ、まるで最初から断るなんて事無いといわんばかりに有無を言わさず状況の説明をした。普通なら年頃のムスメが少しの間空けること位ありがちだが、普段なら絶対に書置きを残す彼女に限ってそれは無い。かわいい赤ら顔を想像しながらヴィンセントは、自分も行方は知らないと手を振る。
ぱさぱさ炎のような色の赤い髪が文字通りに毛先から力を失い、心配でしょんぼりした。洗濯籠を抱えようとしてヴィンセントは濡れた少女の手を見て、しっかりと拭くようにハンカチを手渡す。手伝い以上に家事全般をこなして見せてくれるが、どうにもふとした時に自分を省みない行動に出ることがあり、薄青い木綿のハンカチで手をしっかり拭いたことを確認すると、よし、と笑ってヴィンセントは洗濯籠を抱えて物干し場まで歩き始めた。後ろにたっ、たっ、と軽い足が続く。何か手伝いは無いかと言われたが、赤くなった指に彼女はまだ家事を終えたばかりなのだろうと判断して、やんわり断った。
彼の先輩は家人達が騒ぎださなければ問題無い、と言っていたが、正直な話ヴィンセントにはそれが家人達が騒がないなら問題が無いから安心しろ、という意味なのか、家人達が騒ぐから問題が起きるのであってそれまでは安心していろ、という意味なのか、普段の有り様を見る度にどちらの意味なのか未だに首を傾げている。差し掛かった雨戸の閉められた廊下、外からは子供達が雪合戦か何かをしているらしい大騒ぎが聞こえ、寒さに弱い彼は子供のバイタリティの高さを改めて実感した。ブラーにお前はいかないのか、と顎で外を指すが、ブラーははにかんだように寒いのは嫌いなのだと言って、手伝い選ぶ。
ばっしばし雪の塊が炸裂する音が次から次へ、なるほど、これは通りで昼だというのに雨戸を閉じきる訳だ。感心して頭を動かす彼の鼻を、何か彼がよく知る、甘い匂いがふわりと掠める。寒さを避ける為に足早だった足取りがびたりと止まり、五本指の靴下を履いた少女も立ち止まり、やっぱり自分も持った方が良いのではないか、と進める。立ち止まったヴィンセントは振り返り、何か不思議な匂いがしないか? と訊ねるが、ブラーは雪と隣室で餅を焼く焦げた匂いしかしない、と首を振った。匂い、いや、これは香り。そのどれでもない香りは、外から漂ってくる。
廊下を突き当たりまで歩き切って室内に入っても不思議な事にそれは消えない、子供達のいない反対側の廊下に出る頃には、混ざるものもなくなって辺りに漂うものはそれ一色になっていて、何度も立ち止まるヴィンセントをブラーが心配する。頭の奥をちりちりと触れるような、控えめでともすれば途絶えてしまいそうな、少し考えてからヴィンセントは洗濯籠を降ろし、後で自分が必ずやるからブラーは部屋に戻って好きに過ごすように、と言い聞かせ、玄関に靴を取りに行ってその元を追う事にした。
嗅いだ事のある香りではない、彼の店で焚いている部類のものでもないし、どんな香りなのかを思い浮かべてイメージすら湧かなく遠いが、ヴィンセントは確かにこの香りを知っている。だからこそ、人並みに警戒心のある彼でも何も疑わずにこれを辿ろうと考えられるのか、もしこれがありがちな怪物の誘う息か何かで罠だったら、自分は間違い無く食われるのだろう、と心中笑う。くしゅん、と男にしてはかわいいくしゃみ。肩を掴んで擦る、寒くないように冬用のブーツを履いてきたというのに、うっかり先を急いで上着を着忘れていた。
探す最初は急ぎ足だったが、外に出てからは最早「探している」というより、もう場所も何もかも手に取るように何処から漂うか解ったような状態で、じゃくじゃく氷になった雪を踏み締める。ぼうぼうになる頃になると誰かが勝手にぼうぼうに切り揃えてゆく庭木、ヴィンセントは雪を手で払いながら割って入ると、一段こんもり大きく壁になった庭木の前に、ブラーが探していたアイゼンエルツが蹲っているのを見つけた。肩に雪が積もっている。声を掛けようとすると、向こうが先に気配に気が付いたらしく、ぱっ、と一瞬だけ顔を赤くして立ち上がった。
「おはようございます、ヴィンセントさんっ!」
「今は昼過ぎだぞ?」
ヴィンセントは自分の服の袖を巻くって腕時計を見せた。途端に彼女の顔は恥ずかしげに赤くなり、どうしましょう、洗い物放りだしてきちゃいました! と飛び上がってシャボンのような光沢を持つ髪がきらきら光る。まるで首を絞められたニワトリのような様子に、洗い物ならもう終わったよ、と伝えると、炎が沈静化するようにぷしゅう、と心成しか彼女は一回りほど小さくなった。やっぱり彼女はかわいい、騒がしくておっちょこちょいでひたむきで、今時家事一つほっぽってしまっただけでこんなに慌てる子が居るだろうか。少なくとも、ヴィンセントが子供だった頃はいない。
ピンク色の手編みの手袋を付けた彼女の足元には何か、一箇所だけ雪を掻き分けられた場所に緑色の丸いもの、サボテンのような何ががあって、ヴィンセントはちらりとそれを見る。視線に気が付いたアイゼンエルツは、よくぞ気が付いてくれました、とばかりに顔を明るくしてしゃがみ込み、手招きを。緑色の丸い物、それは春の訪れを知らせるふきのとうだった。もう春ですねぇ。と、アイゼンエルツは愛しげにふきのとうのすれすれで撫でる様に指を動かし、ほわほわ微笑む。ほわほわとした何かが当たりに散ったような気がした。
ふきのとうは美味しいらしいが。ずっと都会暮らしで聞いただけの知識をヴィンセントが口にする。するとアイゼンエルツは顔を上げて、食べられる分を探してみたけれどこれの他にはまだ生えておらず、それを摘み取るのは忍びなくてずっと観察していたところ、こんな時間になってしまったのだという。彼女が言うのならヴィンセント自身が喋る言葉よりも嘘は無いのだろうが、真っ白な辺りの雪には薄っすらとした靴跡の他に掘られた跡はなく、何か特別な探し方でもあるのかとヴィンセントは考え、ばしばしばし無造作に、彼女が恥ずかしがらない程度にアイゼンエルツの肩の雪を払う。
「にしても、一個しかないのをよく見つけられたな」
はたり、とアイゼンエルツの動きが止まり、自分の両手をぎゅうと握って俯く。ひょっとして何か地雷を踏んでしまっただろうか、考えるヴィンセントは太陽の光にきらきら光る髪を綺麗だなぁと暢気に観察する脇、目線を合わせようと意を決して膝を突いた。じわり、雪の冷たさが染みる。甘く柔らかな匂いがする、光と、石鹸の。近くにまで寄ったアイゼンエルツの体からは光と石鹸の匂いがして、香りの正体はこれだったか、とヴィンセントは目を細める。なら自分は彼女の匂いを追っていたのか。途端に不純な物が混じりそうな意味に感じられ、考えを頭から振り払う。
だが息を一吸いすると香りはまだ、最初より微かになってしまったが匂いとは別に続いている、ふわふわと真綿の様に柔らかに鼻を擽っていた。突然気配が近くなって驚いたのか、顔を上げた彼女は逆に驚かせてすみません、と謝って、相手のことばかり気にしてヴィンセントにも積もった雪の粒を、ぱたぱた、と肩から掃う。本当に、美しい髪と瞳だとヴィンセントは口に出しそうになって、彼女のためを思って踏み止まった。光を反射して虹の波を作る髪と瞳だなんて他に無い、人間ではありえない、美しすぎる色。降り積もる雪さえ寄せ付けない人外の髪。
「私、こう見えてとってもお鼻が良いんです。人間さんじゃ、解らないものもよく解るんですよっ」
「アイ、……人間に解らないものが解るのが、嫌なのか?」
精一杯言葉を選び、オブラートに包んで切り出した、気丈に振舞おうと声を多少弾ませてみせたアイゼンエルツは、元気を取り繕う暇も無く返された質問にまた俯く。人間の誰もが羨む優れた能力も、美しい外見も彼女にとっては人外の烙印、どれだけ願っても雪を映す瞳は色に蠢いているし、さら、と若緑色に垂れた髪はヴィンセントの黒い目に美しい輝きを映す。わたしはにんげんにもどりたい。蚊の泣く様な声でもちゃんと人の聞き取れるギリギリで答えてくれたのは、彼女は気を落とした時ですら質問に答えないことを年上の彼に対して不敬になると思っているからだろうか。
やっぱり、この香りは彼女のものだったのか、ヴィンセントは追い続けていた香りの正体を掴む。光が与える無償の温かさの匂いではなく、石鹸の清潔感の溢れる柔らかな匂いでもなく、そうだ、まるで雪割りの花の匂いだ。冷たい雪の下でひっそりたった一輪で咲き、芽吹いた最初から自らを育てた雪に殺される最後まで他の仲間を見ることも、交わることがなかったことも叶わなかったというのにそれを独り受け入れて……それでいて、愛でてくれと甘く香る、雪割の白い花。
「お前が如何思っているのかは知らないが、俺は……人には感じれぬものを愛し、愛でることが出来るお前を好ましく思っている。……何度雪に押し潰され、炎に焼かれ、踏み躙られ、焦土にただ独り取り残されてしまおうと、水と風に守られ光を謳い咲くことを止めない…………アイゼンエルツ、お前はまるで花のような『人』だ」
その後に起こることが予測出来なかった訳では無いが、瞼の下の色を髪に重ねて祝福をせずにはいられない、痛みを感じないようにヴィンセントはアイゼンエルツの手を取り、そっと静かに口付けた。しかし、予測されていたような事態は起こらない。祝福の指に白い手が乗せられる、虹色に色が蠢く瞳がゆらゆら揺れて、真剣な顔をして自分を見つめるヴィンセントの姿が映って止まる。じわり、と香りが熱に溶けた雪の様に染みゆく。その視線は今度こそ、しっかりと二人噛み合い、極彩の黒と流動の虹、離れることはなかった。

数十秒後、上着と傘を忘れて行っているから届けてあげよう、と足跡を追ったブラー、「そろそろ行くと最悪にベストタイミングだ」と悦んで付いて来たシンデレラ、以上二名が駆けつけてくるまで。

にゃんにゃんにゃんの日SSS [小説]





にゃーご


ネコミミ幼女がセクシーポーズを取る、良心ある人間が見たら卒倒してしまいそうな光景を前に、鼻息荒くハァハァと、成長記録風ポルノ写真集には必要不可欠、と主張して止まないポラロイドカメラのシャッターを切るネコミミの生えた見るからに性犯罪者が一人、これは寧ろ卒倒ではなく通報か。ネコミミだけでも通報だろう。次は女豹やってみよう、そろそろ鼻血が出そうなそれが次のポーズをテレサに頼む、はーい、と元気良く素直な返事が返る。
普段の彼女にはネコミミなんて生えていない、じゃあ何故、今日は二月二十二日だから、暇潰しに命を懸ける彼らにとって正統な理由などちり紙程度の価値もない。この場所か今日に限っては全ての住人にネコミミが、例えそれが四十過ぎの男であったとしても、容赦無くネコミミは襲い掛かり、頭に居座っている。しかし、彼は最初こそ面白いとは思っていたようだが、今ではまた酔生の中に沈み、酒を飲みたがるミュールとリアをおよよ、およよ、と止めて何時もの調子。
もう少しそこ寄って、くっつていてぇ、と同じくネコミミの生えたペトラとドルテがそれが予測した数倍は素晴らしくくっつきあい、シャッター音が鳴る。遠巻きにその様子を見る家令はにこやかな表情を浮かべながらユリアーナにエプロンドレスを着せ、ふりふりの服を着てご満悦なユリアーナは、スカートの裾を持ってちょん、とお辞儀をした。ロングスカートにガーターベルト、見えないところが良い、とナースを着せられたマルセルは最初こそ恥ずかしがっていたが、今は聴診器を縫い包みに当ててなりきって遊んでいる。心拍は無い。
「そこの裸の女、邪魔だっ! ど……って、なーんだベルか」
レンズに映るたわわな胸とくびれた腰、張りのある尻、あんまりにももったいない一言に少しむくれてひよこ口を作ったバルベル、あたしも撮ってくれていいのに、と変態の頭に胸を乗せるが、変態はそういう変態なので究極兵器も効きはしない。似合う? と、ヘッドドレスを髪に止めてもらったユリアーナがバルベルにもお辞儀をし、かわいいネコミミごと頭をくしゃくしゃ撫でられて笑う。はい、次はM字パピヨン。足をM字に開いて露出した乳首に蝶の形の……今日に入ってからこの変態は十四回殴り倒され、七回蹴られている。
近所の変態紳士なおじさま、という役で使うが為にそれまで待機を命じられてから衣装代えの手伝いの時以外ほぼ全く動かなかった家令は、バルベルの肩にそっとミンクのコートを掛けた。屋敷内は彼らの能力によって適温に保てれているが、様は気分の問題、彼は身重の妻を心配している。折角全裸でいても怒られない場所に来たというのに、服を手渡されてぷー、と彼女は唇を鳴らすが、心配の態度は伝わったらしくきちんとぬくい格好になった。ちょっと離れて、はい、手を繋いで。はーい、と勢い良く手を上げたドルテに手を握られたまま、ペトラの手が跳ね上がる。
「ねこみみー、うふふー、かわいーv」
「煽てたっておしゃけはあげにゃいよー?」
手に握ったぐい飲みを二人の幼獣に捕らえられないようにひらひらと動かし、わかってるってば、と今度は緑色の耳をふにふに触るバルベルに、酒臭い彼はくすぐったそうにぴるぴる耳を動かす。焦れたリアが長細い指に喰らいつき、一口飲ませてくれないと噛み切るぞ、とばかりに歯を立てる。ふと影が重なってリアが上の方へ目を向けると、口元のスカーフをずらした彼の顔が、酒臭い息、思い切り吸い込んでしまい咽て放すと、羽を瞬間的に羽ばたかせて辺りのにおいを飛ばした。
においだけでもうフラフラしているミュールはぱったり倒れて、目をぐるぐる回している。まだ諦めきれないリアに、バルベルはにゅう、と腕を伸ばして腋の下をくすぐる、何か抗議しようとする度にくすぐる。次第に疲れて大人しくなり、最後ぐったりした頃には、テレサは新たにマルセルと共に「ザ☆にゅーパンツ」というポーズを取る様言われ、嫌な予感がして逃げようとするマルセルをテレサが引き摺りながら元気良く返事を。あ、猫ちゃん、ユリアーナと目が会った猫は、機嫌が良かったらしく、にゃあ、と返事をした。
お腹丸出しのミュールをそっと抱き抱え、何時の間にか部屋の隅に敷いた子供用の布団に寝かせる家令、掛け布団は桃色のねこさん柄。あまりにもぐったりしていたので、やりすぎてしまったかと心配したバルベルだが、直ぐにまた元気に抵抗を初めたので遠慮無くくすぐる、もう触らなくても指の気配が体を掠めただけでびくんびくん笑いだすので、いい加減可哀想になって止めた。今度こそ完全に疲れ耳と一緒に生えた尻尾を垂らしたリアは、最後の力で腕から逃れてごろごろ部屋の隅まで転がって、壁にぶつかる直前、完璧且つ瀟洒に止められる。
「べるぅ~」
ぺろり、人の物からは遠く硬くぺとりと肌に吸い付くような質感の舌が、笑い袋を無くして暇になったバルベルの手を掴み、舐めた。唾液は少なく僅かに濡れた感覚がするだけだが、毛も無いところで毛繕い、そんな彼の頬をバルベルは掴むと、ぺろり、と一舐めして毛繕いごっこに付き合う。にゃーご、威嚇を含めた鳴き声とにらみ合い、色々な場所が紐なパンツ、具体的にはマルセルの股間の部分をじんどった本物の猫は、尻尾を逆立てた変態がどれだけ威嚇しても退いてくれない。
次第にモデルをやるのに飽きたらしい、ドルテはペトラの手を引き、じゃれあう二人にとことこ寄って来る。どうしたの、混ざりたいの? と、酒のにおいだけではなく、互いの精の匂いも混ざり始めてきたバルベルは、不思議そうな顔をしたドルテの瞳を覗く。ドルテは手を伸ばして、二人は今からせっくすをするのか、と割と真剣に聞いた。最初は手を引かれるままだったペトラは、意味が解っているのか……せっくす見たい、見せて、と手足をぱたぱた動かす。
唾液で褐色の肌を濡らしたそれが、じり、と座ったままたじろいた。別にセックスを見られることなら問題無い、バルベルは見られながらしたことなら何度かある、だが、そもそも性行為の出来ない上、訳あって体を人前に晒せない彼にとってそれはNGなのだ。さて、まともに説明しても理解出来ないだろう、大人がセックスをするのが当たり前というのがこんなところで仇になるとは、とりあえず、今にも良い笑顔で「いいよ!」と言ってしまいそうなバルベルの唇に指を置いて眉を下げる。
「はい、お兄ちゃんのお写真のお手伝いしてくれた良い子には甘いのあげようねー!」
甘いの、と聞いて飛びつかずにいられる子供は少ない、ましてや性癖が腐り切って黴の沸いた状態のロリコンであっても一応は家族の一人、腐っても鯛だ。警戒する余地のない変態の言葉に、ペトラとドルテはくるりと振り返り、掃除機で吸い込まれたかのように布団で寝ていた筈のミュールまで飛びつく。いたいげな幼女の質問に囚われていた彼に対して変態は、一つ貸しだ、と目配せをして隣の部屋へ行列を作る。しかし、約一名リアだけは嬉しそうにペトラの耳に喰らい付き、もごもご口を動かしている。
いや、文字通りに甘い甘い誘いは子供以外にバルベルまで吸引して、あたしもたべたーい、と尻尾をくゆらせた。立ち上がるのを横着して膝立ちになり、そのままよこよこと歩き始めるが、不意に後ろから抱き止められる。失礼します、と凛とした声。背中に張り付く内側の毛皮が温かく、柔らかで気持ちが良い、抱き止めるだなんて珍しい行動に出た家令は、そのままゆっくり体勢を変えてそっと膝の上に乗せた。
「むー…甘いのー……。どうしたの?」
「はい、…………私めもまた肉体的な繋がりによって感情を伝える術を持たない体だった、と思い出しまして」
半開きのバルベルの口に包み紙を解かれたチョコレートが入れられ、甘味に紫色のしっとりした毛に包まれた耳がぴくぴく動く。紫色の耳は家令も同じ、さっき毛繕いと称されて舐めあう姿を見た時のように、家令はぴくぴく動く耳を食む。世の中には、言葉では伝えられない事が多すぎる、そう完璧でも瀟洒でもない心の中でごちた彼は、手触りの良い髪の房を掴んで頬擦りする。生理反応から耳は動いて口から外れた。中に蜂蜜の入ったそれを食べ、もう一度口を開けると、今度は薄ピンクのものが入れられる。
きっと今頃チョコレートを食べながらお茶会を始めている少女達の発言が切っ掛けになったのだろう、彼もまた肉体的な感情の発現が出来ない身。立場から自分の感情を抑止し続ける必要を負っていたからずっと押えてはいたが、もしや寂しかったのかもしれない。何時か、肉体の繋がりを持てない自分が、逆を行く彼女に捨てられてしまうのかもしれない、と。抱き締める腕はここぞとばかりに力こそ柔らかいが外れない。腕の中から出ようとすると抱きとめられ、彼女は上を向いて顔を見る。黒い色に雑じり気の無い銀色が浮び、黒にただの男の顔が映った。
バルベルは腕を一本伸ばして、多少無茶な体勢だったが、整った髪形をくしゃくしゃにするよう撫でる。くしゃくしゃ、くしゃくしゃ、何時の間にか褐色の腕も加わり、くしゃくしゃ、寂しさを忘れてしまうまで、くしゃくしゃ、くしゃくしゃ。彼のネコミミが痛くなって髪型が崩れきり、風呂上りと変わらなくなるまで撫でて、思いの外長い前髪が降りた顔は歳相応の青年の表情だった。青年は固い舌に頬を舐められて、目を見開いて驚く、酒臭い彼はけらけら笑いながらもう一舐めして面白げに笑う。
下を向くと、鼻の先に柔らかく湿ったものが触れ、青い色の舌が鼻の先を舐めていったのだと青年は知った。夜の闇に似た黒い色に自分の姿が映る、銀の目は彼女の、自分の中に彼女が浮かんで見える。ずっと下を見ているとまた舌が伸び、鼻先をぺろり、と舐められた。毛並みの崩れた青年を、今回は二人が毛繕いを。青年が驚いて腕を緩めると、あっという間に腕の中から彼女は離れ、名残惜しむ彼の鼻をスイッチのように押して、眉にキスをする。にゃあ……、と戸惑いがちに、聞き取れないほど小さく、控えめに鳴いたのは誰か。
「伝わらないなら伝わるまでお話してあげるわよぅv」
猫のものより硬い尻尾が、ゆるり、ゆるり、と自由に動いて、悪戯な鏃が甘えていた。

今日は猫の日、猫の目のように夜を見通す日。

由梨奈さんへ捧げ物SS:コルぱちやジョリュシがエロカワビッチにイチャまごついてるであろう日時にこいつらときたら……。 [小説]

今年もやってきました、バレンタインですよー!
って訳で、由梨奈さんに捧げ物SS リヴ側エロ処女作、ゆっくり食べていってねん……v
お礼はホワイトデーに3倍返し……いいえ、ここは謙虚に2.99返しでいいですよ☆
……はい、無視してください。すいません。


バレンタインSS
白脱色の血液

登場人物:バルドゥイン 記憶の子

R-15

(誰かが誰かにハジメテをあげちゃう話)
(受け攻めってなんだっけ?)
(本番は無い)

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