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年齢差が犯罪だけど愛さえあればこの家で気にする人はいないよSSS [小説]





雪割りの花


アイお姉ちゃんがいない。アイゼンエルツが何処を探しても家の何処にもいない、と洗い終わった洗濯物を籠に押し込めて次は物干し、と一息吐いていた『ヴィンセント』と呼ばれている彼の前にやって来たブラーは、随分高い目線に顔をいっぱいに上げ、まるで最初から断るなんて事無いといわんばかりに有無を言わさず状況の説明をした。普通なら年頃のムスメが少しの間空けること位ありがちだが、普段なら絶対に書置きを残す彼女に限ってそれは無い。かわいい赤ら顔を想像しながらヴィンセントは、自分も行方は知らないと手を振る。
ぱさぱさ炎のような色の赤い髪が文字通りに毛先から力を失い、心配でしょんぼりした。洗濯籠を抱えようとしてヴィンセントは濡れた少女の手を見て、しっかりと拭くようにハンカチを手渡す。手伝い以上に家事全般をこなして見せてくれるが、どうにもふとした時に自分を省みない行動に出ることがあり、薄青い木綿のハンカチで手をしっかり拭いたことを確認すると、よし、と笑ってヴィンセントは洗濯籠を抱えて物干し場まで歩き始めた。後ろにたっ、たっ、と軽い足が続く。何か手伝いは無いかと言われたが、赤くなった指に彼女はまだ家事を終えたばかりなのだろうと判断して、やんわり断った。
彼の先輩は家人達が騒ぎださなければ問題無い、と言っていたが、正直な話ヴィンセントにはそれが家人達が騒がないなら問題が無いから安心しろ、という意味なのか、家人達が騒ぐから問題が起きるのであってそれまでは安心していろ、という意味なのか、普段の有り様を見る度にどちらの意味なのか未だに首を傾げている。差し掛かった雨戸の閉められた廊下、外からは子供達が雪合戦か何かをしているらしい大騒ぎが聞こえ、寒さに弱い彼は子供のバイタリティの高さを改めて実感した。ブラーにお前はいかないのか、と顎で外を指すが、ブラーははにかんだように寒いのは嫌いなのだと言って、手伝い選ぶ。
ばっしばし雪の塊が炸裂する音が次から次へ、なるほど、これは通りで昼だというのに雨戸を閉じきる訳だ。感心して頭を動かす彼の鼻を、何か彼がよく知る、甘い匂いがふわりと掠める。寒さを避ける為に足早だった足取りがびたりと止まり、五本指の靴下を履いた少女も立ち止まり、やっぱり自分も持った方が良いのではないか、と進める。立ち止まったヴィンセントは振り返り、何か不思議な匂いがしないか? と訊ねるが、ブラーは雪と隣室で餅を焼く焦げた匂いしかしない、と首を振った。匂い、いや、これは香り。そのどれでもない香りは、外から漂ってくる。
廊下を突き当たりまで歩き切って室内に入っても不思議な事にそれは消えない、子供達のいない反対側の廊下に出る頃には、混ざるものもなくなって辺りに漂うものはそれ一色になっていて、何度も立ち止まるヴィンセントをブラーが心配する。頭の奥をちりちりと触れるような、控えめでともすれば途絶えてしまいそうな、少し考えてからヴィンセントは洗濯籠を降ろし、後で自分が必ずやるからブラーは部屋に戻って好きに過ごすように、と言い聞かせ、玄関に靴を取りに行ってその元を追う事にした。
嗅いだ事のある香りではない、彼の店で焚いている部類のものでもないし、どんな香りなのかを思い浮かべてイメージすら湧かなく遠いが、ヴィンセントは確かにこの香りを知っている。だからこそ、人並みに警戒心のある彼でも何も疑わずにこれを辿ろうと考えられるのか、もしこれがありがちな怪物の誘う息か何かで罠だったら、自分は間違い無く食われるのだろう、と心中笑う。くしゅん、と男にしてはかわいいくしゃみ。肩を掴んで擦る、寒くないように冬用のブーツを履いてきたというのに、うっかり先を急いで上着を着忘れていた。
探す最初は急ぎ足だったが、外に出てからは最早「探している」というより、もう場所も何もかも手に取るように何処から漂うか解ったような状態で、じゃくじゃく氷になった雪を踏み締める。ぼうぼうになる頃になると誰かが勝手にぼうぼうに切り揃えてゆく庭木、ヴィンセントは雪を手で払いながら割って入ると、一段こんもり大きく壁になった庭木の前に、ブラーが探していたアイゼンエルツが蹲っているのを見つけた。肩に雪が積もっている。声を掛けようとすると、向こうが先に気配に気が付いたらしく、ぱっ、と一瞬だけ顔を赤くして立ち上がった。
「おはようございます、ヴィンセントさんっ!」
「今は昼過ぎだぞ?」
ヴィンセントは自分の服の袖を巻くって腕時計を見せた。途端に彼女の顔は恥ずかしげに赤くなり、どうしましょう、洗い物放りだしてきちゃいました! と飛び上がってシャボンのような光沢を持つ髪がきらきら光る。まるで首を絞められたニワトリのような様子に、洗い物ならもう終わったよ、と伝えると、炎が沈静化するようにぷしゅう、と心成しか彼女は一回りほど小さくなった。やっぱり彼女はかわいい、騒がしくておっちょこちょいでひたむきで、今時家事一つほっぽってしまっただけでこんなに慌てる子が居るだろうか。少なくとも、ヴィンセントが子供だった頃はいない。
ピンク色の手編みの手袋を付けた彼女の足元には何か、一箇所だけ雪を掻き分けられた場所に緑色の丸いもの、サボテンのような何ががあって、ヴィンセントはちらりとそれを見る。視線に気が付いたアイゼンエルツは、よくぞ気が付いてくれました、とばかりに顔を明るくしてしゃがみ込み、手招きを。緑色の丸い物、それは春の訪れを知らせるふきのとうだった。もう春ですねぇ。と、アイゼンエルツは愛しげにふきのとうのすれすれで撫でる様に指を動かし、ほわほわ微笑む。ほわほわとした何かが当たりに散ったような気がした。
ふきのとうは美味しいらしいが。ずっと都会暮らしで聞いただけの知識をヴィンセントが口にする。するとアイゼンエルツは顔を上げて、食べられる分を探してみたけれどこれの他にはまだ生えておらず、それを摘み取るのは忍びなくてずっと観察していたところ、こんな時間になってしまったのだという。彼女が言うのならヴィンセント自身が喋る言葉よりも嘘は無いのだろうが、真っ白な辺りの雪には薄っすらとした靴跡の他に掘られた跡はなく、何か特別な探し方でもあるのかとヴィンセントは考え、ばしばしばし無造作に、彼女が恥ずかしがらない程度にアイゼンエルツの肩の雪を払う。
「にしても、一個しかないのをよく見つけられたな」
はたり、とアイゼンエルツの動きが止まり、自分の両手をぎゅうと握って俯く。ひょっとして何か地雷を踏んでしまっただろうか、考えるヴィンセントは太陽の光にきらきら光る髪を綺麗だなぁと暢気に観察する脇、目線を合わせようと意を決して膝を突いた。じわり、雪の冷たさが染みる。甘く柔らかな匂いがする、光と、石鹸の。近くにまで寄ったアイゼンエルツの体からは光と石鹸の匂いがして、香りの正体はこれだったか、とヴィンセントは目を細める。なら自分は彼女の匂いを追っていたのか。途端に不純な物が混じりそうな意味に感じられ、考えを頭から振り払う。
だが息を一吸いすると香りはまだ、最初より微かになってしまったが匂いとは別に続いている、ふわふわと真綿の様に柔らかに鼻を擽っていた。突然気配が近くなって驚いたのか、顔を上げた彼女は逆に驚かせてすみません、と謝って、相手のことばかり気にしてヴィンセントにも積もった雪の粒を、ぱたぱた、と肩から掃う。本当に、美しい髪と瞳だとヴィンセントは口に出しそうになって、彼女のためを思って踏み止まった。光を反射して虹の波を作る髪と瞳だなんて他に無い、人間ではありえない、美しすぎる色。降り積もる雪さえ寄せ付けない人外の髪。
「私、こう見えてとってもお鼻が良いんです。人間さんじゃ、解らないものもよく解るんですよっ」
「アイ、……人間に解らないものが解るのが、嫌なのか?」
精一杯言葉を選び、オブラートに包んで切り出した、気丈に振舞おうと声を多少弾ませてみせたアイゼンエルツは、元気を取り繕う暇も無く返された質問にまた俯く。人間の誰もが羨む優れた能力も、美しい外見も彼女にとっては人外の烙印、どれだけ願っても雪を映す瞳は色に蠢いているし、さら、と若緑色に垂れた髪はヴィンセントの黒い目に美しい輝きを映す。わたしはにんげんにもどりたい。蚊の泣く様な声でもちゃんと人の聞き取れるギリギリで答えてくれたのは、彼女は気を落とした時ですら質問に答えないことを年上の彼に対して不敬になると思っているからだろうか。
やっぱり、この香りは彼女のものだったのか、ヴィンセントは追い続けていた香りの正体を掴む。光が与える無償の温かさの匂いではなく、石鹸の清潔感の溢れる柔らかな匂いでもなく、そうだ、まるで雪割りの花の匂いだ。冷たい雪の下でひっそりたった一輪で咲き、芽吹いた最初から自らを育てた雪に殺される最後まで他の仲間を見ることも、交わることがなかったことも叶わなかったというのにそれを独り受け入れて……それでいて、愛でてくれと甘く香る、雪割の白い花。
「お前が如何思っているのかは知らないが、俺は……人には感じれぬものを愛し、愛でることが出来るお前を好ましく思っている。……何度雪に押し潰され、炎に焼かれ、踏み躙られ、焦土にただ独り取り残されてしまおうと、水と風に守られ光を謳い咲くことを止めない…………アイゼンエルツ、お前はまるで花のような『人』だ」
その後に起こることが予測出来なかった訳では無いが、瞼の下の色を髪に重ねて祝福をせずにはいられない、痛みを感じないようにヴィンセントはアイゼンエルツの手を取り、そっと静かに口付けた。しかし、予測されていたような事態は起こらない。祝福の指に白い手が乗せられる、虹色に色が蠢く瞳がゆらゆら揺れて、真剣な顔をして自分を見つめるヴィンセントの姿が映って止まる。じわり、と香りが熱に溶けた雪の様に染みゆく。その視線は今度こそ、しっかりと二人噛み合い、極彩の黒と流動の虹、離れることはなかった。

数十秒後、上着と傘を忘れて行っているから届けてあげよう、と足跡を追ったブラー、「そろそろ行くと最悪にベストタイミングだ」と悦んで付いて来たシンデレラ、以上二名が駆けつけてくるまで。
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