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南瓜頭の素顔 [小説]






街明かり


まるで皮を剥がれた蜥蜴かなにか、もしくはもっとおぞましいものが窓に映る、いや、それは鏡。曇りなく磨かれた鏡を覗けばそこには醜い鬼が立っている、人の心の闇に巣食い、人の命を喰らう鬼が。灰色に変色した皮膚と隻腕、鏡像を擦っても、ぐにゃぐにゃ歪な指の跡が付くだけで、鬼はちっとも姿を消してくれようとしない。べろりと皮膚ごと剥けたきり生えてこない毛が一本、長く皮膚の下で丸まって痒くて、鬼は自分の頭を片方しか無い腕で掻き、薄皮を破って皮膚の下から毛を引きずり出す。血は出ない、ずるずる伸びるそれを引っ張り、鬼は遠い昔に見覚えのある色の髪をぶっちり根を残さず引き抜いた。
太く縮れた毛を床に落とそうと骨の歪んだ指を払おうとすると、壁際のベッドから立ち上がった彼女が青くしなやかな指でそれを止めて、誰かが必要とする筈のない毛を取る。鮮やかな橙色の太い髪。イェニーは鬼がいらなくなった毛を大切に、左右の端を両手に持って伸ばし、電灯の光に透かして見る。鮮やかな極彩色のオレンジ色はまるで夏の日に収穫したオレンジのようで。それから、鬼が何時も被っている南瓜の被り物のよう。イェニーはなんだか良い物を見つけた気がして、コレを貰っていいか、と鬼の手を握る。毛細血管の一本一本まで透けて見える手指は皮膚が薄く、肉もとても柔らかくて触り心地が良いらしい、イェニーはそのままむにむにと手を遊ぶ。
「やっぱり貴女は変わってマース」
欲しければ好きなようにすればいい、どうせいらない物なのだから、と鬼が伝える前に、イェニーはパッと手を離し、毛をもぞもぞ片手で弄りだす。手首に巻きたいらしい。鬼は暫くそれを観察した後、どうしても出来なさそうだと判断して爪の無い親指と人指し指で毛を抓み、同じ様片腕しか使えないというのに器用にイェニーの手首に巻く。意外な長さのあるそれは細い手首に二巻き分もあって、リボン結びにして丁度良い。くふふふふ、と嬉しいのか、手首に巻かれたそれが金の腕輪とでも言わんばかりにぶんぶん振り翳し、鬼にも見せびらかすようにして喜びを露にする。濁った瞳に映る彼女の笑みはまるで太陽の様で、鬼は目を細めた。
眩しくも優しい人間の理想の表情、本で読んだブレスレットというものが欲しくなったのだとかで、欲しい物があるなら一級の物を幾らでもプレゼントすると鬼は何時もいうのに、今こうしてイェニーは幸せそうにしている。物の価値は人其々、蓼(たで)食う虫も好き好き、鬼からすれば彼女の価値観はほんの少しばかりズレている。例えば、こんなに醜い自分を相手にする、だとか。ちょっと離れて部屋の真ん中に踊り出て、手を大きく広げてくるくる踊るイェニーは、そろそろ恥ずかしくなってあのややこしい作りの服を着ようとした鬼の手を取り、一緒にぐるぐる回りだす。
「だって綺麗だもん、あなたの髪v」
前は鬼が服を脱ぐことを限界まで嫌がったものだから、何時も服は破られていたのだから、ああして綺麗な脚にずもずも踏まれるのは寧ろご褒美か。イェニーはぐるぐる回るのが好きだ、視界に入る色がぼやけて線になって後ろに吹っ飛んで行くような風景が楽しいらしい。足元でぺったんこになっていく服を見ないようにしながらそれに付き合う鬼は、特別な訓練の所為でそのぐるぐる回る世界を味わったことがなかったが、こうして彼女の顔を見ているだけでも楽しかった。それに、世界をこうしてぐるぐる回している時は、手を取り合い一緒に回っているイェニーの顔しか見えない。最高。
一頻り回って、回って、脚が疲れてくる頃合になったら、そのままベッドに飛び込むのが回る世界の楽しみ方。片手だけでぶんぶん回していた痩せ細った鬼の体を一気に引き寄せ、抱き抱え、イェニーはそのままベッドに飛び込んだ。二人分の体重をかなりの勢いでぶつけられて、ベッドのスプリングがベキベキッ、という嫌な音を立てたが気にしない。あまり長い間下敷きにするのも可哀想だと思ったイェニーは、鬼を抱いたまま仰向けになり、ぐわんぐわん歪む天井と沈むような感覚に大笑いした。何がそんなに面白いのかと聞かれてもおそらくイェニーは答えられない、兎に角興奮して、最高にハイ! ってヤツになっているのだ。
とりあえず宥めておくべきか、と鬼は彼女の腹筋に小刻みに揺さぶられながら、くびれた腰に手を当ててぺしぺし叩く。効く訳が無く、寧ろ逆効果だったのかイェニーは抱き締める力を強くして、ベッドの上をゴロゴロ転がる。がつん、痛い音、右に転がり続ければそこにあるのは壁。丁度鬼が壁側に来る時、本当に壁に当たってしまった運が悪い鬼はイェニーの代わりに壁に後頭部をぶつけてしまう。流石に正気に戻ったらしい、大丈夫? と、イェニーは鬼のこれまた皮膚がむにむにした灰色の後頭部、今は少し薄赤くなったそこに手を当て、摩る。此方を心配そうに覗き込んでくる黒に浮ぶ銀を見て、鬼は頭をぶつけたのが自分でよかった、と口元を上げた。
「……ミーはアナタに会えて幸せデース」
こんなにも自分を愛してくれる人がいるだなんて、鬼は目を瞑って祈るように呟く。抱き締められた胸に頬を寄せ、すりすり頬擦りをする。こんなに醜い自分を生身のまま抱き締めてくれる人がいるだなんて、なんて自分は幸せなのだろう。イェニーのすべすべの皮膚が直接自分の肌にくっついていることが、鬼は堪らなく嬉しくて、訳隔てなく愛情をくれるイェニーに対して未だにほんの少し素肌を暴かれることの恐怖を覚えていることに、ほんの少し負い目を感じる。守られていると実感する為か、腕の中で小さく縮こまる鬼を見て、イェニーは少し眉を寄せて口をぱくぱくさせた後、漸く良い例えが浮んで直ぐに喋りだした。
「街灯は街の人が夜でも街の人が迷ったりしないように点いてるじゃない? で、遠い国の事は知らないけど、それはあたし達にとって、何時も点いてるのが当然のことじゃない?」
鬼の肌はすべすべだ、正確には人間の理想的な肌の状態のすべすべではなく、まるでイモムシか何かのような、柔らかい中身をほんの薄皮で皮に余裕を持たせてふわりと包んだような感触。イェニーはこれが好きだった、このちょっとだけプヨプヨした所と、なんだかお餅のような肌の手触りが。得に手の平、片方だけしか無い分その片方を両手分だけ使うので、皮膚のプヨプヨに筋肉の弾力が加わって、何ともいえない感触がしてイェニーは大好きだった。それからこの、遠慮がちにしわしわの瞼を明けて、此方を見てくるところも。痛い所を慰めていた手が、今度は愛でるような動きに変わって、ぷよぷよをふにふに掴んで触る。
「ユリアーナやみんなにもだけど……今のあたしは街灯なの、あなたが迷っちゃわないよう愛で照らす為に、こうやって、当たり前としてここにいるのよ。それに、勝手に消えたりもしない」
幸せなことは当たり前なのだからそんなに有り難がらなくて良いのよ、と彼女は困った様な顔をして、鬼の途中から千切れてしまった方の腕の腋をふに、と掴む。普段特に触られない部分を擽られて、鬼は思わずぐねぐね身を捩る。人をおちょくったような口調とは裏腹に何時も冷静な彼にしては珍しく、ケラケラ笑う鬼の体を片手で押えて更に擽ると堪らずまた彼は声を大きくする、ふにふにむにむに、鬼の体は見かけよりもずっと温かくてこうして引っ付いているととても気持ちが良い。
そんな気持ちが良くて、自分の頭をぶつけたことよりも相手が頭をぶつけずに済んだことを喜ぶ彼のものだからこそ、こうして手首に巻いてもらった髪のブレスレットが嬉しく感じられる。この色は、この夕焼けの様に鮮やかな色は、この恥ずかしがり屋な鬼の本当の色、だから誰かに見せびらかしたくなった。こんなにも綺麗な色を貰ってしまったのだから。掴み撫でていた手を離し、電灯の光に髪のブレスレットをもう一度透かすと、髪はキラキラ光って薄い色が透けて見えた。黒い濁った目はコーヒークリームを垂らしたばかりのコーヒーに似ている。放した腕に鬼が擦り寄る、イェニーが試しにもう一度擽ってみると、いへへあ、と妙な笑い声を上げて笑う。前の感覚が忘れられなくなって、ちょっと指で掠めただけで笑い転げる鬼は、まるで本当に赤ちゃんのよう。
「ほら、だからもっと嬉しんでいいのよーv」
「しあわせー」
恥ずかしがり屋で優しすぎる鬼は、歪んだ骨と爛れた皮膚で出来た醜い顔でも、心からの微笑みを浮かべられるのだとイェニーに教えられた。この感触は、確かにイモムシにも似ているが、まるで生まれたばかりの赤ちゃんにも似ていることを今度教えてあげようとイェニーはそっと鬼のくしゃくしゃした瞼を撫でた。
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