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つまり「何時でも俺の部屋に来ていいよ!」 [小説]






無くし物置き場


慣れた日常が一瞬で姿を変え、得体の知れない何かに取って変わられる瞬間という物は存在する、例えば右目に明らかに刳り出そうという意思を持って指を突っ込まれそうになった時とか。オックスは逃げ出した壁際から、さっきまで平和な会話を楽しんでいた白い子供を観察するが、彼はなんで? とばかりに不思議そうな顔をして首を傾げているだけで攻撃してくる様子も、敵意も無い。手に握られていたのは消毒液らしい何かとガーゼの箱、幸いオックスの右目はかなり前に義眼になっていた為、今は痛いだけで済んでいる。オックスはこの家の家主が何故あそこまで彼らに懐かれていながら、あくまで恐怖の感情を捨て切ろうとしないのか、それを少し実感した。色々と突拍子が無さ過ぎる。
何やら自分が警戒されていることを察してか、彼はぺったりその場に脚を開いて座る、猫の口のように先の丸まった口元は正に幼い子供そのもの、身長が歳相応よりもずっと大きいことを除いても可愛らしい。ぺしぺし、座り込んだ床を彼はぺしぺし叩く。まあ座れ、ということらしい、オックスは一回頷いてから部屋の隅に詰んであった藤模様の座布団を敷いて座った。不意に何か消毒液とガーゼ以外のものが床に、彼らにしては投げ出すような乱暴な扱いではなく、ちゃんと床に底が付いたことを確認してから手を離す慎重さで扱われる物が。オックスは光を反射させているそれを覗いた、浅漬けでも入っていそうなビン、中身は、色取り取りの、明らかに人間サイズの眼球。オックスはまた壁際まで逃げた。
その後ろに向って後退する早さといったら、正に黒くてぎとぎとした嫌な虫より早いのでは、オックスの首から下がそれに挿げ変わる妄想をして楽しくなった彼は、口元に手を当てて不思議な笑いを浮かべる。彼は沢山の目玉の入ったビンを手に取って振る、僅かな隙間も無いビンを振ったところ期待するような音がなる訳は無い、横に倒して転がす。オックスの足元に向ってごろごろビンが転がって行く。ごろんごろん、転がって行く内にその中の薄茶色の物と目が会って、オックスは背筋に寒い物を走らせる。ごろごろ、途中で勢いを失ったビンが中辺より少しオックス寄りで止まる。今度は赤紫っぽいのと目が会ったが、此処に来てやっとオックスはちゃんと眼球の瓶詰めを直視出来た。
「キレイにしてあげようとしたんだけど、オックスの目は取れなかったね。ごめんね」
ひんやりとした冷たく硬い感触、本物と寸分違わず細部まで完全に再現されているが、なんだ、義眼ではないか。オックスは自分の喉から安堵に似た乾いた笑いが零れるのを感じた。投げ出した足をしゅるりと素早く畳み、獣の様に四足を付いて歩いて来た彼は、適当に近付いてまた座り、ビンに手を掛ける。ぎちぎち物凄い音を立てて開かれたビンの蓋、取り出されたのはオックスのまだ生身の左目そっくりの金色をした義眼で、彼はそれをオックスの右目に合わせるように指で翳す。目を細める彼の黒い左目は動かない。理由は簡単、オックスは眼球の後半部に相当する容積をもった台を挿入し、眼筋の内四つの直筋に触れるよう手術を施した為、義眼でも目が動く。
彼は何故かそれをしていないだけ。何度か訊ねてみたがはぐらかされるだけだった、と家主は言っていた。義眼を摘み上げていた腕がぱったり床に倒れて、指が離れた金の義眼はころころ転がり、転がる前と対して変わらない場所に止まる。何処か他所を見ながらぼうっとする姿は、しょんぼりしている、風にオックスは見えた。とても三児の母とは思えない仕草だ。ひょっとしてくれる気だったりしたのだろうか、オックスは金の義眼に手を伸ばして、まじまじ自分そっくりの虹彩と瞳孔を覗き込む。また四足を付いて歩いて来た彼は、ウットリした目付きで義眼を暫し見た後、オックスの顔を期待を漲らせて見たが、そんな幾ら可愛い顔で頼まれても眼筋に縫い付けられた物を無理矢理引きずり出すだなんて痛いことはとてもしたくないオックスは、出来る限り相手を刺激しないようゆっくりの目を逸らした。右目も動く。
鴉か猿か、素直に断られるより少しばかり残念な気分になって、彼はまたしょんぼり他所を向いた後、オックスの手から義眼をひょいと摘み上げて、もう片方の手で自分の眼孔に指を入れて黒い義眼を刳り出す。刳り出した黒の義眼はオックスの手の平に、ころころ、平で転がるそれはなんだかぬるぬる涙で濡れていて、体温で生温い。手馴れた手付きで赤と金の目になろうとしている彼の眼孔に、オックスにくれてやる為に何処ぞから手に入れた義眼は大きかったが、そう無理をしなくても入らない大きさではない。女性器と同じ色をした穴に球体の先が触れる時、オックスの手が伸びて金色がころころ、また床に転がって行く。倒れたビンから金色より小さい義眼がころころ、転がってぶつかり合う。
「しっかり消毒してから入れないと内部から腐ってしまうよ」
「……何で知ってるの?」
彼はまた大きく、無理がある角度まで首を傾げると、その辺に放り出した義眼は放って置いたまま、ほわほわとした雰囲気を振り撒く。見渡す限り目だらけになった光景はB級ホラーも良い所、ついでに離れた所で倒れている消毒液とガーゼの箱は本当にB級ホラーの世界だったなら、後々の伏線として扱われる所なのだろうが、此処では藍色と紫の義眼に小突かれて乾いた音を立てる、それだけだ。良く見れば消毒液は義眼や眼孔内にも使用可能で、潤滑油も兼ねた類の物。なんだ、オックスは重大な伏線を見逃していたらしい。そういえばあれは自分も昔使ったことがあった。一回り大きな金、オックスの眼孔に丁度良い大きさの義眼、沢山の小さな義眼は彼が日常使っているものなのだろう。体が斜めになるような体勢から、やっと腰を開放して、オックスは猫背に胡座で白い子供のぽっかり開いた穴に指を伸ばす。粘膜に触れる、脳へと皮一枚で繋がる穴に指を入れられそうだというのに、嫌がりもしない。
「俺だって最初から可動式の義眼を使っていた訳じゃないからね」
「へー…じゃあ、オックスが消毒してよ」
ビンの底に残っていた縦の瞳孔の黄緑が此方を見ている。返事を待たず振り返り、腕を精一杯伸ばして横着する彼の指先にガーゼの箱が引っ掛かった。ずりずり、一緒に引き摺られてくる消毒液と、途中まで一緒に転がされていたが途中から腋に転がって行く藍色と紫。ぐい、とオックスは突然二つを腕に押し付けられ、黒の義眼を落としてしまう。黒はころころ他の色と混ざり、丁度自分の身長程度の範囲を確保しようと、払い除ける彼の腕によって遠くへ勢いを付けて転がる。オックスが黒を見失わない様に目で追うより早く、早々に彼はオックスの太腿に頭を乗せて、自分の左頬をぺしぺし叩く。折角オックスが愛用しているらしい義眼を無くさないように気を使っているというのに、まるで興味を失ったかのようなその態度に、オックスは最初とは別種の薄ら寒さを覚えた。
軽く染み込ませる程度で良い、上向きにした消毒液の噴射口にガーゼを乗せて染み込ませる、多く消毒液を付けすぎると襞の間に消毒液が溜まって厄介なことになる。内部を拭く時に深追いは厳禁、強く擦るのも勿論、消毒液の染みた人差し指と中指に巻きつけ、しっかり力加減出来るようにする。基本的には軽く、本当に軽く、抜き差しする程度で良い。本来なら義眼を取り出す時も指ではなくて専用のスポイトを。だから消毒を進めたのだが。オックスは自分の太腿に当たった一つを手に取る、これには瞳孔も虹彩も無い、ただ黒目に当たる部分に蝶の細工がされていて、光の加減によって蝶の羽の色が変わるらしい。今は赤交じりの玉虫色、優しく拭きながら、オックスはじっと手に取って光に目を凝らす。
「君は、如何してこんなに沢山の義眼を持ってるんだい?」
「よく無くしちゃうからだよ。置物は勿論、敷物も、壁紙も、ゴミと間違えて捨てちゃうんだ」
なるほど、彼、または彼らのあの異常なまでに殺風景な部屋は、あえてああいうレイアウトにしているのではなかったのか、とオックスは頭に浮ぶ寒々しく剥き出しになった白い壁の理由を、その異様な答えをあえて聞かなかったことにして知る。ころころ、ごろごろ、そこいら中に転がる義眼、持ち主に興味を失われた人の体の一部になる筈だったもの。こんなに物への執心が薄いのだったら、今この奇妙な風景の理由も頷ける。きっと最初の義眼も、オックスに宛てて買ったのではなく、たまたまサイズも選ばずに買ったらオックスの目と同じ色だったからあげることにした、程度の理由なのだろう。ひらひら、紅玉色になった羽を目で追いながら、無防備すぎて危うい程大人しく、開かれたままの眼孔にオックスはそれを滑り入れる。するり、と難無く蝶は眼になり、赤に黒が粒になって浮んだ。久しぶりに使った消毒液兼潤滑油、相変わらず値段の割りに使い易い。
「そう無くし物ばかりでは困るだろうから、良ければその辺の一瓶分は俺の部屋に置いておけば良いさ、また無くして、必要になったらまた取りに来れば良い」
「え?」
眦の裂けた、心底面食らったような表情。懐いた猫のように大人しかったというのに、彼は唐突に彼らしくない声を上げ、体を起こした。オックスは危うく顎をぶつけそうになって頭を避けるが、今度は後頭部をぶつけてしまう。今度の蝶は光沢のある黄色、オックスを押し倒す様に手を付いた彼は、付き合せた顔を何だかまた不思議に動かして、にやり、と笑い、圧し掛かっていた体を離す。ぶつけたまま押し付けられていた後頭部が鈍い頭痛を呼ぶ、オックスは患部をさすりながら、まだにやにや笑いを浮かべている彼からとりあえず逃れられたのだと、ホッと安堵の息を漏らした。彼はまだ奇妙なニヤニヤ笑いを浮かべている。ころころ、ごろごろ、また黄色と金色が転がり、ぶつかった薄ピンクと硬い音を鳴らす。その日からオックスの部屋に彼の義眼は置かれることになった。
「ふ~~~~~~~ん」
オックスは自分が言ってしまった言葉の意味にまだ気が付いていない。
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