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最近ご無沙汰! [小説]

やさいい人

登場人物:おじさん 0012

(やさしいじゃないです、やさいい)
(人)







やさいい人



何故今俺は叩かれたのだろうか、突然頬にカッとした熱さと衝撃を感じた後、じわじわした痒みと痛みが時間差を持って広がる。食後に新聞を読んでいる事が何かこいつの心の琴線に触れたのだろうか、子供の癖に大人に殴られたより酷く脳を揺らされて、俺の体感では二、三秒しか経っていないが本当は十秒位経っているのではないだろうか。それ程までにこの状況は理解し難く、俺の脳も処理をしてくれない。今こうして思考が追いついているのは、理解よりも早く肉体的な苦痛を感じたからだろう。
頬越しの感覚に鈍く痛みまで透過されて、冷えた頬から一瞬だけ痒みが消える。俺が手を広げた大きさより小さいそいつの目線が俺の隣にあったのはまた何か訳の解らない術でも使ったのかと驚きはしたが、俺と同じ高さの椅子を俺の隣までずらして、更に背伸びまでして俺を叩いたらしい、今でも足を生まれたばかりの小鹿の様にして気張って背伸びをする様子は少しばかり、間が抜けて見える。無機質な白黒のマスクからは感情が読めない、だが、普段深い色を讃える長い髪は今や烈火の如く紅葉しており、全く何もかもが読めないという訳では無い。
俺の頬を叩った平手を拳に握り直すと、また第二投を寄越そうとしているので思考が戻った事を手を振って知らせる。何とか拳を下ろしてくれた、解いた手を口には出さないが趣味の悪い柄をしたシャツでゴシゴシと拭き、そのまま裾を強く握った。マスクの赤い目が俺を見る、燃え盛る様に蠢く髪は初めこそ今にも飛び掛らんばかりにざわついていたが、突然、波が引く様に色は深く失せ、蠢きが止まる。手加減はしていたらしい、口の中を切る程ではないが口の中が頬越しに熱い、元は体に張り付いているのだから完全に冷やせるとは思っていないが、水を一杯煽った。
そろそろ必死になって背伸びをしなくても良いと思ったらしい、震えていた足が地に付いて俺の目線から一段下がった、更に椅子に座って三段。仮面越しに自分の顔をカリカリと掻く、それで痒みが取れるのか? 足をブラブラと遊ばせながら、俺が手に持ったコップを両手で招く。すまんな、空だ。逆さに降ってそれを表すと、底の方に水玉になって残っていた物が落ちた、そいつの頭に。好き勝手な方向に向って伸びる髪がざわり、と僅かに蠢いた。「ご馳走様なのだよ」それでいいのか、というより、お前はそこからも飲めるのか。ああ、植物だからな。
ほんの一滴で満足したらしいそいつの髪はまた落ち着いて、先程よりも艶が出ている気がする、なんと低燃費。妙に背筋が良いのは、説得や説教は姿勢から、という理屈なのだとこいつ自身に聞かされた気がする。俺の低きに流れる思考なら、この頬の熱さえ無ければ妙な地雷を自分から踏みに行かずに済んだのに、俺ってけっこう生真面目だったんだな。頬の痛みは思っていたよりずっと早く水を飲んだら引いた、これは手加減というより叩きかたをそういう風にしていたからなのだろう、その割にはじくじくとした頬の熱は未だ冷めない。

「俺何かしたか?」
「いや、随分と思い悩んでいる様に見えたのだよ」

即答、それが当然の事と言わんばかりに。白黒の仮面が此方を見るが見ているのは俺の目じゃない、傍目から見ると赤くなっているらしく、やたらと俺の頬の方を見ている気がする。「どうだい、痛みは直ぐに止むが、熱が下がらない所為で中々良くなった気がしないだろう」心配でもしてくれるのかと思えば自慢されたよ、まあ、自分でやっといて心配というのも変だが、やっぱりそうだったんですね。シャツの裾をまた握る、二回、三回、もしかしなくても痛いか痒いするのだろう。拳で殴るのと違って、平手とはそんな物だ。まあ、拳だと殴り慣れない内は骨を痛めるが。
これは普段から傍目から見て何か思い悩む様な仏頂面している俺が悪いのか、何を悩んでいるのか最初に聞かずに手を出したこいつが悪いのか、正直、どうでもいい。俺の様子が当人が想像していた物と相当違ったらしく、深い色が僅かに薄まってまたざわめく。どうやら状況が飲み込めないらしく、歳相応に忙しなく足を動かして、赤い目が今度はちゃんと俺の目を見た。「赦されざる罪を犯した訳では無いのだろう?」こいつはこいつなりの理屈を持って行動している、ただそれが、一般人と表現方法が大きく掛け離れていたり、理屈その物が違うだけで。
俺を赦す、俺は何かをした覚えはどれだけ頭を洗っても出てこないので、今回のこの大規模な混乱はそれが原因なのだろう。原因は簡単、俺が何か悩んで居る様な顔をしていたから……そんなに俺は何かを思いつめた様な顔をしているだろうか。もう一度椅子の上に立ち上がる、そいつの見上げていた目線が上がって、俺の見下げていた首が水平になった。何故かは自分でも解らないが、何と無く握ったままになっていたガラスのコップを置く。うわ。そいつは子供には大きな隙間を跨いで、俺の座っている僅かな隙間に裸足の爪先を乗せた。
当然、ふらふらしている。右脇から零れそうになっているのを、零れないように支えてやると、『心得た』とばかりにもう片方の足も乗せてきた。違う、俺は危なっかしいから手助けをしたのであって、断じてこの隙間に足を乗せる事を推奨したのではない。断じて。高揚している気分に水を注して悪いが、いい加減にしないとこのまま横倒しになるのが目に見えている為、本当のことを伝えようじゃないか。もういっそのこと、小さな体をやたらと湿った感触がする髪ごと此方に寄せて、俺の膝に膝立ちにさせる。踏み締められると痛いが、そう重くないので問題無い。
それにしても、赦す、とはもし仮に俺がその赦されざる罪とやらをしていたなら、どうするつもり……聞くまでも無いな、また赦すというのだろう。この自称神様はとても自分勝手で、心が狭いのだ。自分の懐の中にある物が自分を受け入れない異種だった場合はそれまでのこと等全て忘れて手の平を返し、どうしても手放したくない時は今まで起きてきた事等は無視し、適当な理由を付けて無視してしまう。「俺は別に悩んでいた訳じゃ無いぞ?」……ああ、今確かに空気が止まった。乗り上げた足がぎりぎり動いて、叩かれた頬に手が優しく添えられる。どうだ熱いだろう。

「罪を犯したならその先には罰があって、罰が与えられるという事は赦しが待つ、という事なのだよ」

すまない、と小さく謝罪される。だが自分の主張を言い切ってからな辺り。あくまで譲る気は無いらしい。頬を生き物かを疑う程冷たい指が触る、爪が五つちゃんと生えている事すら生意気に感じる椛の様な手の平もまた、同様に冷たく、表面温度が下がって気持ちが良くはある。徐々に手が生温くなった事に気を使ったのか、今度は手の甲が当てられた、そこまでしなくても平気なんだがなぁ。俺を赦すと叩いた事も、こいつが今こうして俺の頬を触っているのも、どちらもこいつの好意の表れだと言うのに何だこの差は。
こいつは俺の何かを受け入れる為に、適当な理由ではなく、罰を与えて赦してしまおうとした。何時も通り、悩んだ事の正当性を無理矢理こじつけてしまえば双方痛くない筈なのに。叩いた手の平は痛むだろう、今回になって罰、とは、もしかしてこいつは俺に気を使ったのか? 自分自身の理由付けで赦そうとも、結局は赦された人間が自分が赦されたと感じなければ、ありがたい説教も古く退屈の御託だ。思考よりも痛みは早く届く、厳罰を与えて許しを作る、罪の代価を目に見える物にして許しを受け入れる。つまり、人間は面倒な精神構造をしているのだ、結局は自分しか自分を救えないのだから。
頬から優しい手が放され、空虚な赤い目が俺を覗き込んでいる。「君が悲しげにしていると、僕、あるいは私まで悲しくなる」その言葉、自分も言った覚えがある。俺がこの同居人達との奇妙な生活を始めてから、俺が初めて持った『こいつ等の理屈』という奴だった。何なら罰を与えてくれても良い、そう肩を竦める仮面の子供、多分万力篭めて叩いても問題は無いのだろうが、『俺の価値観』がどうしても止めろというので止める。代わりに差し出すのはコップ、何でも良いから飲み物を、ついでにお前の分も、牛乳でも入れてきてもらおうか。

そいつが自分からコップに頭を打ちつけたのを見て、俺が悩んでいなかった事を聞いて時が止まった時の心境、とても良く理解した。そうだな、言葉でちゃんと伝えないと解らないな。
ふと思った、俺の価値観は今どちらに傾いているのだろうか、と。
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