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氷室の者:バカはバカな事しかしない [小ネタ]

廊下を歩いていてばったり会った何かが、目の前を危なげな足取りでウエディングケーキかと聞きたくなる程ふざけた様な大きさのケーキを運ぶ人間だった時の人間の反応は、そんな物を素手で運ぼうとしている事に対しての呆れか、そもそもそんな大きさの物を意味も無く作ろうとした事への驚きか。甘ったるいクリームの匂いに混ざる南瓜の香り、飴細工で作られた柱とそれを支えるマジパンの台座、上の方で危うげに震えているのはプリンか何かだろう。
昨日から何やらドタバタとしていると思ったら、自室でこんな本格クッキングしているとは思いもしなかった、大量のフルーツの缶詰を只管切る様子に遂に気でも違ったかと思ったものだ。作ったら作ったままエプロンも取らずに運び始めたらしく、何時もの大量の縦ロールはきちんと三角巾の中に収納され、その下に着ている物が何も無いという点を除いては本気が窺える。白いエプロンが泥酔した人間の様にふらふらの足取りに合わせ、チラチラと生足と見たくない物が……いや、この辺りを考えるのは止めよう。
向こうは自分の正面にある巨大な甘味の塊に気を取られて俺に気がついていない、天井スレスレをあっちへこっちへ動く先端に気を使いながら、鬼気迫る形相で黒い蛇腹の喉を反らせた。廊下の天井でもギリギリなのだ、敷居があって一段低くなった天井は如何頑張っても通れないだろう、という事はこいつは廊下伝いにこの広すぎる家をぐるりと回ってきたのか。今更ながら、暇潰しやそうでなくても余計な事に対してのみ働く根性に感動すら覚える。
苦しげに三角巾から覗く髪、あの大きさであんなに不安定な物を素手で運ぼうとするとは、一種の苦行かと見間違えそうだ。あいつの身長は然程大きくないが、目の前のオレンジ色と白とフルーツ色々が混ざった物体に隠れてしまって、こう正面から見たらケーキに足が生えているだけの物に見える。そうこう見送っている内に俺の近くにまでやって来たので、自分の立っている場所から一番近い障子を開けて、隣の部屋へ避難した。何処へ運ぶ気なのかは知らないが、台所へなら最短で此方の部屋を通れば良い、無理だが。
汗をかかない体なのだとは聞いていたが、今のこいつは仮に生身の体をしていたなら滝の様な汗を全身から発し、もっと早くその汗で転んで全てを無かった事にしてしまっていただろう。息切れをする体では無いというのに、品を千年は前から肥溜めに投げ捨てたと言わんばかりの形相からはふぅふぅと苦しげな声が漏れ出て、黒い手は震えている。手を貸してやりたいのは山々だ、だが、その小さな盆に乗せられた状態ではどうやって手を貸せばいいのか。変に手を出したらその瞬間崩れる、絶対に。
が、そのまま去って行く姿を見送るのだと思っていた所、俺の存在に気が付いていないそいつは敷居を跨ごうと明らかに低くなった天井にケーキを曝し始める、止めろ、掃除の事を考えるんだ。そんなんはお互いに悲しみに包まれるだけだ。一時でも目を放せば天井に擦られたケーキが盛大に転倒する様子が浮ぶ、静止の言葉を掛けてみる、あちらは俺に気がついているのだろうか、聞いていないのかもしれない、止まらない。黒い足の生えたケーキが、天辺のプリンに刺さった桃をぶるぶる好き勝手奔放に揺らす。
刹那、黒い足が蟹股になって、腰が深く落とされた。ふんふん、と、先程までの苦しげな息遣いとは比べ物にならない雄々しく荒いそれは、最早使命に燃えたランナーの如く『絶対にやり遂げるのだ』といった神聖ささえ感じれる様子で、俺はもう一つの、仮に転倒から白い惨劇に至った時にとばっちりを喰らわない為に、部屋の隅にまで後退した。これがマラソンやら何やらなら、さっさとタオルを投げて「もういい」と強制的に止められるというのに、もういいから、それは互いに不幸になる答えしかないから。
俺はあの脚使いを知っている、アレはリンボーダンスの……荒い鼻息が更に大変な事になり、一歩跳ぶごとに物凄い質量が叩きつけられる床が悲鳴を上げ、品位という物に全力でクソを投げつけている。仮にも食物を扱っている相手に糞とは何だという話だが、普段あれだけ他人の行動に逐一「下品だ」と付け加える人間がこうして、この、何とも言えない有り様になっているというのに、ある種の感動を覚えている。……出来るなら永遠に知りたくは無かったが。

「あら、小父様。これはツイてますわっ」

ケーキが敷居を潜ろうと低くなった場所と水平になる、落とされた腰と共にそいつの体も水平になり背が膝よりも低くなる、三角巾の下の髪がだらん、と床に垂れる。部屋の隅に縮こまりながら、これはいけるのではないかという淡い期待が生まれて……俺が呼ばれた、期待は生まれた瞬間、弾けて消えた。あまりにもあっけなく、起こるべくしてそれは起きてしまった。あれ程落ちる落ちると思っていたプリンが、無駄な抵抗によって部屋側に落ちた塊の上、まだ奔放にぶるぶると震えている。
やっぱり俺に気がついたのか、目をキラキラさせて辺りに散乱する塊を払いながら、そいつは俺の前までやって来る。俺に掛かる訳が無いというのに、どうしても体が飛びのいてしまった俺に「変な格好ですわ」と、そいつがからかう。崩れ難い様に固めに作っていたのか、ケーキその物はあまり崩れていないが、その半面が畳の床にキスしてしまっているのは事実。お前は先ずそれを気にした方が良い、こんな所で何をしているのかを聞く前に、声にならない事を指で指して知らせた。
最初はサインにすら気が付かないでいたそいつだが、俺が何も答えないのに気が付くと、やっと参上を目に入れる。「あらら」間抜けて素っ頓狂な様子に、一瞬眩暈が……「ま、三秒ルールって言いますしねっ」更にまた眩暈が……確かに床に面した部分以外なら食べられそうだが、生理的にそれは如何なんだ。波になって弾けた生クリームが、粒になって飛び散って、これはもう染みになって落ちないのではないか? 両手が楽になったそいつは、俺の手を引っ張る。

「ケーキが無くなってしまったのは悲しかったりしますけど、ケーキの無事な部分を取り出すのにお皿が沢山必要ですの、そんな時に小父様が居てくれたなんてやっぱりワタクシ、ラッキーですわ♪」

最初に呼ばれた時、何がツイていたのかは結局聞けず終いだった。
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