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彼岸SSS:心配ご無用、平気平気 [小ネタ]

彼岸SSS
これは自殺ではない

登場人物:おじさん オレンジ

(誰だか内緒)
(おお、妬ましい)







これは自殺ではない



此処は現実ではない、何故なら現実では羽の付いた自転車は空を飛ばないし、その後ろに台車がくっついているなら尚更だ。灰色の雲から明らかに手書きのひび割れが、おそらく雷と思わしき物が覗き、雨と風を表現しているのか黒い線が幾つも空を過ぎっている。……此処は如何やら、悪天候らしい。俺が乗せられたというより、半ば強制的に積み込まれた荷台だが、手を突いた底がじわりと湿っている。
また此方側に戻ってきてしまったのか、昨日一日を過ごした現実世界に思いを馳せるが、当初此処に来た時と同じ様に同居人達の情報は頭の中に無く、現実に帰って直ぐ食べた卵粥を作ってくれた誰かの事も思い出せなかった。心配は要らない、これは現実に戻ればすっかり元通りになるのは、昨日一日で実証済み。本当に何か一つ確信があると、こうして心一つ分はラクになる。足を離したまま、黒くじっとりと濡れたペダルがぐるぐる回る光景は、見ていて妙とは思うが。
今度のパイロットも本気で運転する気は無いらしい、最初はペダルに足を乗せるだけでもしていたというのに、数分前から足が痺れただかで足を外している。まあ、自動で動くとはいえ足を強制的に動かされる事に変わりは無いのだから、そういうこともあるのだろう。オレンジ色の背中はこの雷雨を演出する空でも派手で、こいつが欲しがる筈の本来の用途には全く役立っていないのが浮き彫りになって、外見よりも小さめに見える背が哀れに見えた。
この黒い線はどんな作りなのか知らないが、真上を通り過ぎようすると影の様に俺の体ら線を乗せて、直ぐ通り過ぎると線は先程の位置に戻る。俺より前方にいるそいつにも線は入って、その後に俺に、後ろを振り向くと俺を通過していった線が何事も無かった風に空に戻っていて、目の前にはまた新しい線が来ていた。悪い事が起こらないならそれはそれでいい、行き先もこの線の雨の先にあるのだから、なるようになる。
此方側で一日過ごす事は、向こうでも一日経過している事は解った、つまり今の俺が時間を数日間ドブ捨てている形になる事も。時間が惜しい人生充実した人間なら発狂物だろうが、俺の人生は大して時間を急ぐ予定も無く意味も無い……少し一週間、こうして過ごしてみるのも良いだろう。PCで見たシルバーウィークだか、あれだと思えば良いのではないだろうか、期間的には秋分を越えて軽く半日は経過しているが、盆休みを永遠にされてしまった身としては今更驚く気にもならない。

「突き落とさせてくれ」

今のは驚いた、俺以外にこいつしか居ない空間であったなら、とても俺に掛けられた言葉と解らずに軽く無視していただろう。今でも内心、独り言の線を信じている。「おお、妬ましい」独り言ではないらしい、ぐるりと振り返った隈の浮く目は薄暗いこの場所では落ち窪んだ風にも見えて、この様子だけ見れば中々恐ろしい眺めではある。「おお、動揺も何もしないのが憎らしい」油断したのか、足に濡れたペダルがガリガリと当たったらしいそいつは、飛び上がってサドルの上に胡座を作った。凄いバランス感覚。
始まりも終わりも脈絡も感じられない現実逃避の極地の様な場所で、こんなに物騒なセリフが聞けるとは思わず、自分の事を指して俺に言っているのかを尋ねる。こっくり、素直だ……頷かれた。俺なんて妬んでいたら、此の世に存在する物の9.7割は妬む事になるだろうに。ガツン、という衝撃と共にこの空飛ぶ謎の乗り物の動きが止まった、ああ、線は透過出来ても雷は違うのか。突然の衝撃にバランスを崩しかかったオレンジは、獣の様な体勢で落下を堪えたが、俺にそれを見られたのが相当屈辱らしい。また「妬ましい」と、目をカッ、と見開く。
おお、すごく妬ましい。お前はその言葉の使い道を間違っているのではないか、俺は相手の心を読むなんて便利な能力は持ち合わせていないので、断定は出来ないが。かくなる上は突き落とすのみ、一瞬で視界から消えたかと思うとそいつは俺の目の前に表れ出て、万力の様に俺の両手を掴む。掴まれるまで気が付けなかった、手首の骨がギリギリと軋む……ああ、いわんこっちゃない。やっと走り出していた乗り物は、また雷に当たってガツン、と音を立てた。だが、今度はバランスも力も崩れない、落ち窪んで見える目は本気の輝きにてらてらひ光って、蛇の鱗を思わせる。
このまま手首を締め上げられたら、夢の中でも骨が折れる、前に体の一部を要求された時は俺なりに回避したのだから、要求されていないこの状況で腕を持っていかれるのは御免だ。俺のどの辺りが妬ましい? 理由なんて何でもいい。……いっそ清々しい、息をしている事も生きている事も、堪らなく妬ましいときたものらしい。お前なんて嫌いだ、思い切り荷台の端まで詰め寄られて、あわや背が中に浮く。これ以上の事になったら本気の危機感を覚えるべきかもしれない、今の俺はこいつ等が俺の命を脅かす事は無い、そう信じきっていた。
落ちてしまえ、と、この感覚は初めてでは無いな。どれ位前だったか同居人達の誰かに首を締められた時、あの時もこれに似て、理由なんてどうでもいい風に俺は死にかける羽目になって、その後数日間は喉の違和感が消えてくれなかった。あの日のあの感触は今でも思い出せる、だがこれとも違う、そうだ、あれは戯れな物だったが、こいつの場合は殺意を感じられない以外で本気なのだ。背骨が痛む、背面に底が無い事が肌で解る。
もう踵が浮いてしまっている、これはまさか、この期に及んでそんな訳無いと思う俺を殴りたい。下は痛い、地面に叩きつけられて死ぬのは辛い、ここは夢だから死んでも死なない、辛いぞ。脅すような言葉を理由無く立て並べるそいつ、今この場で俺が「解った」と飛び降りれたなら、現状は一発で解決するのだろう。此処は夢の中、死んでも死なない、なら俺が一番に怯えている死が訪れる事は無い。何よりも、この夢は俺が愛してやまない同居人達が見た夢の中だ。





……………………やってみるか。
俺は右足を使ってそいつの脚を払い、外れた腕をそのままに宙に踊り出た。当然、俺の背に羽がある訳無いのだから、俺は重力に従順に従って自由落下する。この下は一体どうなっているのか、奈落か、ならあいつの目と同じだ。






「何やってんだアンタ!」

「お前なら、俺を絶対に取り逃さないって信じてたからな」

お前の言い分はよく解る、手の届かない天上の物がどうしても欲しくて、欲しくて、仮に手に入ったのだとしても本当に手に入ったのかを疑い、手元まで引き下ろす為に地獄に落とす。そして、最も深い場所に堕ちた何かを、自分が……そう、自分だけが救い出すのだ。だからこそ、俺が自ら落ちてはいけない、落とすのは自分で無ければならない。俺は今更だが、一応落ちかけての命の危機に反射で叫びかけた言葉を口の中に溜まった唾と共に吐き出す。そいつの何時に無い真剣な眼に見られながら、何事も無かったかのように荷台に下ろされる俺は、今までの人生感じた事が無い程の達成感、というよりは、安堵感を手にして目を閉じた。
「助けてくれ」俺は間違い無く、この瞬間、勝ったのだから。

何に、かは俺にも解らないが。
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