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彼岸SS:ツラの皮は千匹皮 [小ネタ]

彼岸SS
左手で漕ぐ航路

登場人物:おじさん 穴の空いた人

(誰だか内緒)
(船旅どんぶらこ)
(はてさて何処に行くのやら)









左手で航路



俺は船に乗る、客船の様な大型の物ではなくどちらかと言えば木で作られた小船に、何の疑問も無く俺の脚は進む。この段階で何の疑問も無いというのは間違いだろうが、何故かこの先にロクでもないことが待ち受けている気はするが、それよりも根拠の無い安心感が俺を満たしている。まあどうせあいつ等の仕業だ、命までは盗られまい。周りを見れば一面の赤、あれは風車、いや彼岸花か。風も無いというのにそよぐ彼岸花は手招きをする様に動き、それに合わせて水面が揺れて、砂利の敷かれた地面にぽつりと立てられた石柱の小石が跳ねて、崩れた。
船の上から対岸を見ようとするが、相当幅のある川なのか向こう側が見えない、砂利の空けた川の水は澄んでいるよう感じたが、こうして遠巻きにみると澄んだ色に濁っているのではないかという錯覚を受ける。桟橋に紐で括りつけられた舟、半世紀前に絶滅したであろう小船の運転の仕方等、俺が知っている訳が無い、詰り俺は此処で立ち往生するしかない。どうせ岸に着いた船なら岸に戻ってしまえば良いが、逆に言えばどうせ船に乗っているのだから、何等かの出来事が起こるまで放って置いても危ない事は無いだろう。緩く逆立つ水面に揺らされる、据わった足を崩して寝転がってみた。俺は今、ゆりかごに揺られている、そう思えば悪く無い。
暑くも無ければ寒くも無い、どちらかといえば涼しげな風が頬を撫でた。目だけ明けて様子を探る、こんな場所が存在する訳が無いのだから、此処は電脳空間だ。太陽の浮ばない灰色の空、アレは雲の色ではなく空の色その物を塗装した色なのだろう、対岸の少し先だけ色が剥げている。あれはミスなのか、あえてやっているのなら割と渋い部類に入るかもしれない、黒い色をした裂け目がぽっかりと口を開けていた。この風が何処からやってくるかは解らないが、換気が出来そうな場所はあそこだけなのだから、きっとあの裂け目からだろう。電脳世界に物理法則を持ち込むのは野暮だろうか、考えるだけならタダだろう。

ささくれた木が軋む、船頭さんがおいでなすったらしい、慣れた足取りで船が沈まない様乗り込むのは流石か。今度は一体誰が船頭役を勤めているのやら、寝転がっていた体を起こすとまた舟が軋む、駄目だ、解らない、こいつに関する情報はあるというのに、姿形を頭に浮かべる事が出来ない。まあ、そうか、どうやら今回はそういう気分なのだろう。姿形は解るというのに解らない船頭は、この舟を漕ぐのに相応しく古風な櫂を使う。一漕ぎ分が進む、ぽちゃん、何の音かと思うと桟橋に舟を括りつけていた縄が消えて、その真下を縄そっくりな模様をした蛇が泳ぎ去っていく。蛇は泳ぎが得意だ、あっという間に見えなくなって、また舟は陸地から一漕ぎ離れた。
今にも細い悲鳴を上げて倒れこみそうな、えらく疲れたような動作で船頭は櫂を使い、徐々にリクへの距離は遠くなり、今では俺が全力で舟から跳んだとしても水飛沫を起こす羽目になるだろう。赤い色はこう遠くから見ると余計に一塊に見えて、薄れた緑色を塗り潰したそれは陸一面が赤く染まった様だったが、それよりも俺は先程まで舟を着けていた陸の地平線の方が気になっていた。しまった、あの陸は一体何処に繋がっていたのだろう、船頭の姿に二つに割れた空、灰色に曇りないそちら側の空に裂け目は無く、丸く盛られた丘に遮られてその先は見えない。気がつけばすっかり、ああ、あの場所は俺の中で『陸』になっていた。
櫂が水を掻く音が一瞬止んで、船頭が聞き慣れているというのに誰の物なのかも解らない声で、心底呆れた風に鼻を鳴らす。どうせまた狂った同居人が自分を殺そうとしてる、そう思っているんだろう? 解らない声は俺の頭の中を見透かした様に、俺が考えても見なかった事を口に出す、何を言っているんだこいつは。瞬きをした、動揺しているんだ。俺の弁解を五秒と待たず、続けて人の生理現象を理由に、荒唐無稽な事を。櫂を漕ぐ手は止まっていたというのに、陸地は遠く影しか見えなくなっている、あの陸地には二度と戻れないだろうな、何が理由とも無くそう思う。
そんな事は無い、そう否定しようとしたが、それよりも早くまた、というより休む事無くそいつは俺に疑いの言葉を投げ掛けた。それはもう俺に言っているというよりは独り言の部類に近く、解った風に言うな、という言葉が何度も何度も繰り返される。息を継いでいる時に否定するか、人外らしく長い息が切れる瞬間を待つ事にして、この舟の行く先が何処なのかを楽しみにしようか。そうだな、六文銭を寄越せては言われなかったが、このシチュエーションはテレビか何かで見た一般的三途の川を渡る時のイメージに似ている。本当に行き先が彼の世なら、凝り性なあいつ等が六文銭を取らない訳が無い、まさか身内価格でタダ、とかは流石に無いか。
やっと息継ぎをする気になったそいつは、櫂を落ち着かせて着く筈無さそうな水面に突き立った櫂に寄り掛かる、今この瞬間に弁解しようとしてるんだろ、はいそうです。そいつがそれを言う前に俺の口には、「そんな」まで口に出ていた、半端だと格好悪いので最後まで言い切る。見れば見る程、澄んだ色に濁った川の水に似た姿の実体を失いそうで、俺は俺の中から記憶の一つでも抜け落ちている気がして恐ろしくなり始めたが、そいつが舵を取るのを「飽きた」、とやめても舟は実に軽快に進むのを見て、やっぱりこいつは俺の知る同居人の誰かなのだと自覚して恐怖は薄れた。なに、誰だって一応は俺の身内だ。

「じゃあ、誰なのかちょっと当ててみてよ」

どうせ出来ない、それを最初の一回は甲高くしわがれた声で、その後小さくブツブツと五回は連呼して、俺に勝ち目の無いクイズをそいつはふっかける。ヒントは無い、俺の記憶から見事に抜け落ちてるがこれは忘れている訳では無く、何か人為的に記憶を切り取られているだけなのだから、この辺はその猜疑心の枠から外れてくれないだろうか。外れないだろうな、漫画とかだと涙で復活したり、そいつだけ無茶苦茶な論理で覚えてたりするんだもんな。人間としての天理から離れたこいつ等なら、そういった最狂根性論も正当性を帯びる気がして成らないが。
櫂を使っていた時よりもぐんぐんとスピードを上げて、航路はあの裂け目に向って進んでいるらしい、遠巻きながら裂け目の中を覗こうとしても、ただ只管広がる奈落に目が痛む。急かすようにそいつは数を数えたり、あからさまに舌打ちをして見せたり、櫂を握る必要の無くなった今は立っていた場所に座り込んで、自分の指同士をくるくると回して一人遊びをしていたりするが、唐突に爪を齧り始めたりもした。突拍子の無い行動には何か思いつく節はあるが、それは全員にいえる事でもあり、何よりも外していたら嫌だ。見えなくなった陸地を思い浮かべて、自分の記憶は正常に働いている事を実感する、最初に彼岸花を見た時、瞬間的に俺はあの口の悪い黄黒の縞に見せてやりたいと思ったのだから。
ちょっと当ててみてくれを考える事を放棄した俺に、そいつは俺の気が散る様に仕向けているのか、爪をギリギリと音がする程強く噛んで急に大声を出す。この場所で自分達が何者なのか当てるなんて本当は不可能なのさ、今の自分は人間的に例えるならばスイッチを入れ替えている、これはパラレルワールド的な人格の入れ替わりではなくて、普段他人に向けていない面と普段を入れ替えただけの至極簡単な事、記憶も同じ、感覚も同じ、好みも同じ、ただ一つ簡単に立ち振る舞いが違う、そうだこれは一種の芝居に近い、演劇は立派な類感呪術、誰も彼もその気になれば自分以外の何者かに必ずなれる、成れない訳が無い、常に成り続けている、今もきっと、そうだ、そうだ……途中から聞き取れなくなった。まあ、こいつも途中から明らかに俺に言っているつもり無さそうだったが。
同居人の誰かさんに似た口調、だがこれはこいつの言う類感呪術とやらで、本質では無いのだろう。それにしても今の、答えの出し様が無い俺が答えられなくて当然だ、とか、現在の状況に混乱を覚えて当然、とかその辺の俺に対するフォローに感じられるぞ。ジャッ、と聞きなれない音がして何事かと思えば、そいつの足元に赤い筋が這っている、よく見ればそれはこいつが自分で噛み千切った指先を擦りつけて、船底に筋を作っている。見るからに痛い、いくら人外でも痛覚位あるのはとっくの昔に実証済みだ。急に立ち上がっては船が傾くと重い、恐る恐る立ち上がったが、盲舟は微動だにせず航路を進む……こういう所、やっぱり俺の知ってる奴等だよなぁ。俺が近付くとそいつは、自分の血の出た指を今始めて見た物の様に見て、痛い、とわざとらしく呻く。

「無理だ」

近付くついでに言い切る、これ以上間を持った所で良い考えは浮かびそうに無く、またこいつの長い一呼吸に喰われるだけだろう。夢の中から帰って来れた時は、どれだけ怪我をしようとも吹くが千切れようとも全て元に戻った、それはこいつ等も同じだが、自分で自分の指を食い千切る何て痛そうな物を目に入れたくない、シャツの端を破ってそいつの指の手当てをする。血糊で指が滑る、手当てをされている間そいつは驚く程無関心に、もう無い波を見ていた。痛い、痛い、言葉だけは俺に向けられたまま、二回巻こうとした布切れを深紅に塗装してやっと、思い出せない指は大人しくなる。多少きつく結びすぎたか? まあ、止血と思えば良いだろう。
やっぱり、安堵した様な落胆した様な溜息が響く、灰色に澄んだ空が一気に曇るが何が起こる訳でもなく、ただ色が濃くなっただけですっかり何もなくなった風景は只管澄んでいる。手当てのされた指を立てる、そいつはその指を自分の口の中に入れると、そのままもごもごと口の中で弄んだ。汗の味がする、もごもご聞き取り難い言葉だったが、大体はそんな感じだった気がする。そりゃ当たり前、俺がさっきまで着ていた物なのだから、俺の汗が染みていないわけがないだろうが。不本意ながら至近距離且つ、相手より下の目線になりながら、不潔な真似を平然とするそいつの顔を覗く。もごもご、止めろって。
きにしてないきにしてないきにしてないきにしてない、絶対気にしている目でそいつはそう言う、それだからあえて答えをいわなかったんだ。お前執念深そうだし。怒ったり、落ち込んだり、ってことは期待してくれていたってことだろうが。いい加減また傷が開いてしまうと厄介だ、指を腕ごと引っ張って口から開放すると、案の定また血が滲み始めていた。目に見える痛みから目を逸らすの? 口端から血を流しながらそいつは言う、違う、痛いものを見て喜ぶ趣味は俺には無いし理解も出来ない、お前が血を流してるのが嫌なんだ。それに、答えを言わなかったのだって、何も考えてなかった訳じゃ無い。

「俺は簡単に忘れるか、三日間位死に掛けて忘れるだけで済むが、お前はずっと覚えてるんだろ?」

「……そうか、そういう考え方もあるね」

なぁ、俺、思い出した事があるんだ、お前の事じゃなくて俺の事だけどよ。今の俺みたいな状況になっているのって、解らなくなったとか、忘れてしまったとかじゃなくて、思い出せないだけ、って言うんだったな。行き先の解らない舟は、どんぶらこどんぶらこ、目が痛くなる程の奈落へと吸い込まれ、その次の瞬間、広すぎる川は千の欠片に失散し、澄みすぎた空は万の欠片に崩れた。全ては俺が見ていない場所で起きた事だが、何故か奈落に入る瞬間、少し先が見えた気がしたのだ。最後に見たのはね船尾が黒く消えるのと、陸だけが無い水に浮いて空中にへばりついていた光景。……こんな奇妙な物は、いくら超常現象慣れした俺でも一生忘れない、忘れられないだろう、此処で起こった事全て。
ふむふむふむふむふむふむふむふむふむふむふむふむふむ、という風にそいつは自分の顎に手を当てて、何度も何度も頷く。先程までの様子が嘘の様に、俺の知っている誰かと同じ様なアルカイックスマイルと、大げさで突拍子も無い動作……その顔には、どの様になっているか解らない大穴が明いている、そんな気がした。

なんだ、あの奈落、あいつの顔の穴にそっくりじゃないか。
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